モダニティ論で有名なバウマンの著書。近代化の進展は現代に「新しい貧困」をもた
らしたと彼は言う。そして、なぜ新しい貧困が生まれたのか、また新しい貧困はこれ
までの貧困と何が違うのかを論じている。
近代以降は、産業社会から消費社会への移行である。バウマンは他の著書で固定
的近代と流動的近代と呼んでいるが、焦点のあて方が異なるだけで一貫した見解
である。貧困はどちらの社会においても失業問題とつながっている。しかし、失業を
とりまく環境や貧困に対する非貧困者の態度は変わっている。かつて、失業は産業
構造の変化や景気循環による不況で仕事にあぶれた者が陥る状態であり、一時的
なものとみなされていた。それゆえ、失業者は労働予備軍として扱われ、いつでも
労働に戻ってこられるように社会保障の対象とされた(労働予備軍として養っておく
ことが社会全体の利益につながっていた)。しかし、後期近代(消費社会、流動的近
代)においては、失業は一時的なものでなくなりつつある。経営の合理化や企業の
海外移転によるダウンサイジングで労働者の余剰が生じているためである。産業界
のこうした傾向は先進国のどこにでも見られる現象であり、少ない投資からより大き
なリターンを得ようと合理化をはかってきた過程(言いかえれば近代化の過程)の
必然的な帰結だという。失業者の多くにとって再び労働世界へ戻る道は閉ざされて
いる。バウマンは、失業者(貧困層)が労働予備軍から廃棄物扱いされるように
なったと過激な表現で述べている。失業者を社会に再統合するための仕組み(社会
保障)は縮小し、彼らは産業界からだけでなく国(社会)からも排除される存在に
なっているからである。
最後の第6章では、バウマンは新しい貧困に対して私たちはどうした方策をもつの
かということを大まかにだけ述べている。所得資格を所得獲得能力と切り離すとい
う話は、日本でも昨今議論の対象となっている「ベーシック・インカム」を思い起
こさせる。新たな貧困に対して私たちはどうすべきかが現実に問われている。
なお、誤解がないように2点付け加えたい。
まず、原著は1998年に出版、2005年に改訂された“Work, Consumarism and the
New Poor”である。翻訳元は改訂版であり、訳者あとがきによると第5章部分の
追加が大きく変更されたところのようだ。
また、他のレビューで「労働倫理」を前面に出して解説しているものがあったが、
これは正しくない。訳者あとがきでも「導きの糸」と説明しているように、労働倫理
を扱っているのは貧困に対する社会的なまなざしの変化を追うためである。前期
近代では、労働倫理(仕事に励むことは道徳的に正しい)をスローガンとして掲げる
ことで貧困をなくし、社会統合をもたらす意味があった。しかし、後期近代になると
労働倫理は貧困層へ同情を抱かないこと(排除すること)を正当化する役割を担う
ようになった。貧困を怠惰と退廃が原因だとみなすことで、貧困者を同情に値しな
い存在においやり、非貧困者は自らを慰めるのである。