この本を読み終えて感じるのは、自分の視界が途方もなく拡げられているということ。その拡がりはおそらく、三つの地平から成っている。
第一の地平は、著者がこれまでの人生において旅し、思考し、文字という痕跡に残してきた地理的・空間的拡がりだ。雑誌「風の旅人」に連載された文章をまとめた本書では、必然的にそれが顕著だ。ポリネシア、アオテアロア=ニュージーランド...と数え上げだしたらきりがない。
第二の地平は、知と思考の拡がりだ。同じ風景に接するにしても、その肉体を支える総合的な知の強度、そこに駆動する思考のダイナミズムがいかに重要かということを思い知らされる。さらに、世界の事実の断片を描き出す著者の鍛えあげられた手つきは、読む者に否応なく思考を強いる。たとえば、最後の一本の木を切り倒したラパ・ヌイ(イースター島)の歴史をたどりながら地球の終末を予見する戦慄すべき一章。また、猫の死体を貪る東京のカラスから、フランスの古典に登場する楽園の鳥たちへ、さらに人工の鳥の島ティティリ・マタンギへと思考を羽搏かせ、鳥の進化と植物の果実の意味をめぐる驚くべき仮説へと読者を誘う一章。
第三の地平は、詩的な感受性の奥行きだ。本質的に孤独かつ峻厳である一方、繊細で瑞々しくもある感受性が、著者の文章に多くの襞を与えている。ダム建設で水没する村の陰で顧みられることなく滅んでゆく植物や動物への感受性、あるいは、不毛とされる砂漠に生命の充溢という喜びを見出す感受性。とりわけもっとも私の心を揺さぶったのは、ニュージーランドで、ペンギンたちのおぼつかない、しかし確かな足取りの上陸の様子を見つめながら著者の脳裡に訪れた想いだ。「生命の糸の何か」という「悠久」のあらわれをそこに透視する著者は、動物のそうした営みをまもるために、ヒトが滅ぶを選ぶこともいいのではないかという「さびしい感動」に包まれる。