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しかしそれは決して爽やかなものとはいえない。読後感には、はっきりいって独特の気持ち悪さが纏わりつく。なぜか? 美文は三島が証明したごとく、漢文的に雄雄しくまた、成熟を拒むヒロイズムだ。それに反して松永の美文は、歩を止めるどころか、時が止まる遥かな以前へと、感覚を一気に連れ戻す。
もちろん、欧州が舞台ということも、美文を必然化しているように見える。けれどもそれは作者の仮面に過ぎないだろう。というのは、むしろ日本人特有の成熟感が通奏低音になっているからだ。彼らは大人になるのでもなく、子供だったわけでもない。孤独なようでいて、あまりそれを意識しない。そういう時の流れ方(止まり方?)から、ディティールの描写が重ねられる。秋の夜長の孤独な読書には最適な読み物だが、むしろ訳出して、ヨーロッパ人に読ませたい小説に思えた。
それにしても著者はなぜホモセクシャルをこれほどまで客体視するのだろう? こうしたペルソナのあり方、あるいは三人称のあり方は、今時の書き手には得がたい、なんとも懐かしい、奥ゆかしさを感じさせてくれる。
作者の松永氏はご自分でも舞台をふむ方とか、そうこれはマティスの絵のダンス、モーリスベジャールの舞台でラベルの曲でこんなシーンがありましたっけ、松永氏は白木蓮の花までそえて、あの地特有の闇の中に浮かび上がらせた舞台なのではないのでしょうか。なんとすばらしい美的センスで書き上げて下さった事か!読み終えて月の光の誘に庭の中いつまでも立ちすくんでしまいました。美しい大人の物語。
特に最後に収録された作品。長年日本文化を学んできたドイツ人教授に、ある日本人参事が冷たく言い放つセリフにはうならされました。長らく日本人が西洋に対して無意識に卑屈になっていた事に。そしてその時代はもう終わったのだと。
全編に漂う同性愛趣向も、ある時は必然のように、ある時はそこはかとなく現われます。オチが先に読めてしまう部分も無きにしも非ずですが。
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