厩戸聡耳皇子(所謂“聖徳太子”)を主人公とする小説のドラマ化が難しいことは毎年のNHK大河ドラマでも知られている。毎年、次年度の大河ドラマとして採り上げて貰いたい人物をアンケート調査してもこの人物が断トツに多いことも早に知られている。にもかかわらずこの人物をドラマ化できない理由の一つに、この人物を描くにはどうしても皇室がかつて持っていた血の争いに触れざるをえないからとの理由が挙げられている(だから逆に当たり障りのない人物が繰り返して採り上げられてもいる)。
天皇家の血筋を引きながら“なぜこの人物が天皇の地位に就かなかったのか”等々の疑問は過去にも色々と議論されてきた。またこの人物には“片岡飢者説話”など後世(主に平安末から鎌倉期に作られたとされている)の伝承が色濃く影を落としており、なぜそうした尾ひれが付くようになったのかも研究対象となっている。
そうした中にあって、この作品は『上宮王家の悲劇』を描いているものの、決してそれは天皇家に連なる人間ではなく、一人の歴史上の人物の辿った軌跡を中心として等身大の『上宮王』を採り上げている。彼を取り巻く数々の陰謀術数そして彼の持つ光と闇の部分、そこには生々しさすら感じる。
歴史の中で神格化され、そして旧一万円札の肖像すらも実際には“伝聖徳太子像”として現在ではその正否が疑われる中にあって、一人の政治家として神秘のベールに包まれた斑鳩王の姿。彼が慟哭する対象は自らの運命(さだめ)なのか、内部抗争の続く古代王朝の姿なのか、或いは滅びゆく上宮王家の行く末なのか、封印された虚実の像を一枚一枚と薄皮が剥がされるように綴られていく。