アゴタ・クリストフの三部作「
The Notebook the Proof the Third Lie: Three Novels」を読んだ際、この小説の底知れぬ寂寥感に打ちのめされました。と同時に二転三転する幻想的物語の果てに待ち受ける、言い知れぬ妖しき美しさを体験したものです。
そのクリストフの新作小説が、作者自身が前作よりは劣ると語っている「昨日」(早川書房)を除けば全く出版されていないのは、あの「体験」をもう一度味わいたいと考える私にとって、大変残念なことです。そういう状況下にあって、この「文盲」はわずか90頁程度の小品ですが、クリストフ独特の作風を十分伝える、まさにあの「体験」を与えてくれる書です。
「わたしは読む。病気のようなものだ」。
この書き出しが、過去・現在・未来あらゆる時間を現在形で綴るクリストフのあの世界に私をあっという間にさらっていきます。
ハンガリーの寒村で暮らす少女時代。幼い娘を連れたスイスへの亡命。言葉の通じない世界で文盲としての生活を強いられる日々。
この自伝に、功成り名をとげた人物の達成感や高揚感はありません。疲労感や徒労感といったものが行間に滲み出るばかり。
多和田葉子の小説「
旅をする裸の眼」に登場する、東独からフランスへと旅を強いられた少女と、この「文盲」のクリストフとが重なって見えます。ドイツ語で綴る多和田とフランス語で綴るクリストフ。異語を駆使する二人の作家に共通した何かが存在するとしても不思議はないでしょう。
とはいうものの、この「文盲」には、読むこと、そして書くことの喜びが通奏低音のように間違いなく存在しているのです。それが読む者の心に確かに響きます。
「訳者あとがき」によれば、齢七十を越したクリストフに新作執筆の意志はもはやないようです。それが事実だとすれば大変残念でなりません。