本書は言うまでもなく、サミュエル・ハンチントン教授が首唱した「
文明の衝突」論へのカウンターとして書かれた書物である。著者のエマニュエル・トッドとユセフ・クルバージュの両氏は「全世界的な人口動態分析の用具」を駆使して、「イスラーム圏は現在、人口学的・文化的・心性的革命に突入しているが、その革命こそ、かつて今日の最先進地域の発展を可能にしたものに他ならない」とし、「イスラーム圏もそれなりに、世界歴史の集合点に向かって歩み続けている」(序章)とする。そして、イスラーム圏で発生している混乱は、「人口学的移行過程」に特有の「(伝統的社会から近代社会への)移行期危機」としてピューリタン革命やフランス、ロシアの革命などと重ね合わせるのである。
これらの“切り口”は、男女の「識字化(識字率の向上)」であり、私なりに単純化すると、「識字化(文化的近代化)→出生率低下(伝統的権威構造の崩壊)→移行期の政治的混乱(移行期暴力)」といったシェーマが描かれよう。そして、トッド博士らは人口学的知見等に基づいて、イスラーム圏は「近代化」に向かっての“産みの苦しみ”を味わっている、とする。ここで私は、先ず、一つの目的に向かう「世界史の必然的な歩み」といったヘーゲル主義的なパースペクティブにやや戸惑いを覚える。また、当書では、文明モデルの分岐は否定するするものの、“移行先”を語ってはいない。それは欧米型社会モデルを意味し、そこへ「大規模かつ急速」にイスラーム圏は収斂していくのであろうか。
ハンチントン教授の「文明の衝突」論に関しては、たとえば
アマルティア・セン博士の厳しい批判などが思い浮かぶ。セン博士は「世界の人々をたった一つの排他的な基準(いわゆる文明のこと−引用者)に特化して区分け」する「粗雑さ」を批難し、人々の「アイデンティティーの複数性」を強調する。そして、博士は「私たちが問わなくてはならないのは、敬虔なイスラム教徒がその人の宗教的な信仰や実践を、宗教以外のコミットメントや価値観その他の個人的なアイデンティティーの特徴とどのように組み合わせるのか」に力点を置く。セン博士の母国インドにおいては、「俗に「イスラム世界」と呼ばれるほとんどの国よりもずっと多いイスラム教徒を抱えているのが変わらぬ事実」であるのだから…。