政治学者高坂正堯が1981年に出版した本で、ローマ、ヴェネチア、アメリカを順に取り上げ、最後に日本が生きる道を探る自由な思索の著だ。この本は実は出版直後に一度読んでいる。まだ高校生だった私は半分位意味もわからないまま読んでいた覚えがあるが、栄華を誇っていた文明がやがて衰退していく様子が強烈に印象に残っていて、以後の世の中の見方に大きく影響を受けた本のひとつだ。
今回その本を読み直してみようと思い立ったのは、先頃読んだ「The Next 100 Years」(邦題:「100年予測」)がきっかけだった。フリードマンの歴史観は大局的で非常に冷静でもある。彼の近現代史の解釈では的を得ていると思うところが多い故に、その近未来予測にもある程度説得力があるのだが、彼の描く近未来では、日本をアメリカにとっての大きな軍事的脅威とみなしている。もちろん日本以外に脅威と成り得る国をいくつかあげているが、日本については特に多くのページを割いて警戒している。どうも釈然としない。アメリカという人類史上屈指の超大国が、なぜ極東の小さな島国をそれほど警戒しなければならないのか。
そこで思い出したのがこの「文明が衰亡するとき」だ。高坂正堯もこの本の中で、日本の未来の姿に触れている。30年前に彼が思い描いた未来が今、どのくらい現実となっているのかにも興味があった。もう一度読んでみて、高校生の時にはわからなかった奥の深さが見えてきて、あらためて感銘を受けた。この本は高坂自身の言葉によれば「歴史散歩」のようなものだそうだ。彼の他の著作や論文のように一つのテーマを深く掘り起こしていくというスタイルとは少し雰囲気が違う。もう少し高い場所に立ち位置を置いて、歴史全体を鳥瞰している。まるで大きな鳥のように歴史の流れの上を舞い、時としてある場所に降り立ったり、また飛び立ったりと、自由自在に散策しているかのようだ。
高坂が見たローマは、巨大になりすぎた自らの重みに耐えかねて瓦解した。かつて地中海貿易を支配した海洋国家ヴェネチアは、変化に対応する活力を失ったときに衰退した。そしてアメリカは、その繁栄のピークを過ぎ、自らのあり方に疑問を持ち始めているという。自信を喪失し始めた超大国が過剰防衛的になるのは必然だろう。フリードマンの日本に対する警戒を理解するヒントになりそうだ。
一方、高坂は日本をヴェネチアとよく似た通商国家であると定義する。これに異を唱える人は少ないだろう。日本は軍事大国にはなり得ない。資源もなく海に囲まれた日本は、他国との貿易以外に生きる術を持たないからだ。そして、円滑な貿易を担保するものは、貿易上不利益を被らないような他国との関係と、なによりも平和である。平和を守るためにあらゆる努力をすることが、日本にとってもっとも国益にかなう原則だと思う。理想主義者がいうような、おとぎの国のバラ色の平和ではない。それ故フリードマンの予測が非現実的だと思うのだが、世の中理屈通りに動くとは限らない。