京極氏が愛好する「豆腐小僧」を主人公とした妖怪解題小説。突如湧いた「豆腐小僧」が、「自分とは、あるいは妖怪とは何ぞや」と悩む姿を成長物語風に描いたもの。結論を一言で言ってしまえば、「妖怪とは概念であり、事象をそれと解釈する人間が居なくなってしまえば消えてしまう」である。これを外挿すれば、「京極夏彦とは概念であり、京極氏を作家と解釈する人間が居なくなってしまえば消えてしまう(残された作品による伝説妖怪 ?)」となる。即ち、「作家=妖怪」論であって、誠に妖怪作家らしい。
上で妖怪作家と述べたが、京極氏の作品中で実際に妖怪が登場したのは本作が初めてだと思う。上述した論「妖怪は人間の心の中に棲む」は従来の作品で繰り返し述べられて来た信条だが、今回はワザと妖怪を登場させる事に依って別の趣向で同じ思弁を述べたものだろう。その意味で、無個性・無来歴の「豆腐小僧」はピッタリの主人公であり、究極の妖怪である。鼎談形式の「妖怪馬鹿(京極氏による「豆腐小僧」のイラスト画あり)」と同様のノリで書かれており、やはり妖怪馬鹿のための本という事か。文中に「世の中に絶対的正義はない」とあるように、硬直した思考法を嫌う性癖が良く出ており、因果関係さえ解釈次第なのである。また本論の趣旨に従えば、人間が蒙昧・邪悪な概念を抱けば「途轍もない化け物」を産み出す可能性があるという警鐘にもなっている。結末の趣向も洒落ている。
各頁の最終行を文の終りで締める作法は常の如く。物語性が薄いのに結構スムーズに読み進められる。少々冗漫な気もするが、このダラダラ感が本作に相応しい。京極堂シリーズからは、「姑獲鳥」、「魍魎」、「邪魅」が客演し、狐、狸、猫などの化ける動物や達磨が活躍する等のサービス精神も旺盛。妖怪馬鹿がユッタリと楽しめる本だと思う。