読みやすく、しかも奥行きの深い、知的興奮に満ちた一冊。
丸谷さんの著作はエッセイも小説も対談集もたいてい読んでいるが、
本書は、格別のおもしろさ。
何しろ、今回はおそるべき元編集者・湯川豊氏が聞き役なので、
丸谷さんの豊富なひきだしを次々に徹底的に開かせる。
他書で繰り返し唱えている主張であっても、具体的な話題、
痛快な逸話に見事にハマって、大いに頷かされる。
例えば、【伝記・批評】の章で湯川が、近代以来、批評家や研究者は、
「なぜ作品を伝記的事実に還元することを第一義的仕事と考えたか」
と問うと、丸谷は
「小説というものを告白だと思ったんですね。でもそんなばかな話は
ないんで、告白が小説でいちばん大事なことであるならば、
小説のおもしろさというのはどこかへ行ってしまう」
もちろんこの前後には“歴史こそ物語”という逆説も論じられている。
また、【エッセイ】の章で、内田百ケンのおもしろさについて。
丸谷が「分析が難しい」というと、湯川は古今亭志ん生との類似をいう。
「初めからナンセンスというのではなく、語っていくうちに意味が
解体してそこから笑いが迫り出してくる」
と卓抜な評価を下すと、丸谷も、
「(百ケンを)志ん生という見立てはいいよ(笑)」と応じ、
「御飯のよそい方で、ふわっとよそうと品がいいみたいな」と続ける。
個人的に出色と思ったのは、【戯曲】の章。
歌舞伎の起源の解明に始まり、井上ひさしの「悲劇」性への注目、
三島由紀夫の「レトリック」は「ロジック」が弱いから評価しない等々、
月並みで晦渋な言説を超えた演劇論、ないし戯曲論の豊饒さ。
文字どおり極めつけは、最終章【詩】。
「実はわれわれの社会が詩を求めていない」と断じ、
「相田みつをの読者はいても詩の読者はいない」と言い切る。
そして、
「なぜ詩の読者がいないのかという問題がじつは日本の詩を
論じるときに大きな問題だと思う」。
「誰も文明なんか論じない。言葉の問題なんか論じない」
ここへきて湯川が【批評】の章で“批評家丸谷”を評していった
「文明論的批評」の火薬が、大いに炸裂している。
一方、本書全体を包むのは、読者ないし享受者の視点。
それゆえに、この最終章【詩】の結論は、さんざん楽しませ、
知的興奮を駆り立ててくれたあと、振り返ると、
あたかも華やかな荒野を眺めるよう。
まことに余韻が深い。