まだパソコンが一般的でなかった学生時代にレタリングをかじったことがあるから言うのではありませんが、おもしろい。少しでも視覚的なデザインに興味がある読者ならば、今をときめく各専門家から特別講義を受けたような気持ちにもなるような、とっておきの話ばかりです。図画も豊富ですが、全て白黒なのが惜しまれます。
アルファベットのデザインの基礎となったのが、ローマの「トラヤヌス帝の碑文」、すなわち石に刻まれた文字であるという木村雅彦氏の歴史的な説明が特に秀逸で、同碑文が大文字だけであるため、大文字と小文字が全く別々に考えられてきたという歴史も興味深く読みました。(マイケル・クライトンの小説をハードカバーで読んだことがありますが、大文字と小文字との大きさのギャップが少ないフォントを選んで印刷したと、最後に付記されていたのを思い出します。)
ただ、以前から言われていることですが、清涼飲料水やビールのパッケージなど、デザイン的な感覚で書かれている英文のヒドさにを気にしない無感覚さを誰か問題提起して欲しい。日本人は文字があると安心する中毒症状のようなものに冒されている民族でもあるとも個人的には思うのですが、意味や本当の視認性に関する研究がまだまだのような気がします。例えば、道路標識でも、日本語はかなり工夫されているのに、英語(ローマ字)表記が小さく見にくいのであれば大文字だけにするなど、本当の意味での配慮がまだまだ足りていません。そういった意味ではPUD(UD)フォントは当然の結論でもありますが。
新幹線や東海道線のグリーン車2階に乗るとJR品川駅ホームに掲示された「品川」の【品】の字の"口"が三つとも異なることにいつも気になる者としては、フォントはいつも気になる存在です。パソコンの使用で、文字と文字との間隔に無感覚/思考停止になっている自分には、葛西薫氏の問題提起は有用かつ、考えさせられました。