それまで断片的にしか紹介されてこなかったシュマント=ベッセラのトークン理論の旗艦本である。言語学や哲学などの内省的な考察ではなく純粋に考古学的な実証であるため、説得力が強い。また、文字の発達を、形態からではなく機能から考察した点で新しい。
エジプトを除くオリエントでは、トークンと呼ばれる一連の粘土製の遺物が知られていた。これは、新石器時代の農耕牧畜の開始とともに、その出納管理に際して発達した計算器具である。前3500年頃から第二次産業の発達とともにトークンの型も複雑化し、それまでのプレイン・トークンに加えてコンプレックス・トークンも作成されるようになった。その後トークンは封球の中に容れてまとめられ、中に容れたトークンを封球表面に押印するようになり、これが粘土板にトークンを押印するだけに変わって、最終的に前3100年頃にはトークンを押印するのではなく筆記具で刻印面を線描するようになった。最古の文字であるウルク古拙文字の多くは、この線描絵文字だった、と。
ということは、もしもウバイド期とウルク期で人種が異なるのだとすると、ウバイド人が用いていたプレーン・トークンをシュメール人が引き継いで、さらにコンプレックス・トークンを導入したということになるのだろうか。トークンの押印をシュメール人が線描絵文字に発展させてゆく過程でも、トークンの刻印面を粘土板に筆記具で線描すれば凹凸が逆になってしまうが、こういうことは古代オリエント人たちは気にならなかったのであろうか。また、ウルク古拙文書について、丸印の中に十字を書いた「羊」の文字は直交交叉線入りトークン(3:51)に由来する絵文字であるが(P.76)、一方で、牡牛の文字は正面から見た牛の顔を簡略化した象形文字である。このように、ウルク古拙文書には、線描絵文字と象形文字という出自を異にする文字体系が混在しており、線描絵文字の方が多かったことはファルケンシュタインも指摘していることであるが、これもどうしてであろうか。
数字の抽象化についても考察されている。古代オリエント人にとって、事物や単位を離れた抽象的な数字は存在せず、数字とは常に具体的なものであった。例えば、ウルク第'Y層(前3500年頃)では環状刻線入りトークン一個で「油1シラ」を表していたのが、ウルク第'V層(前3000年頃)になると「油」と「1」と「シラ」の三つの記号に分離している。抽象的計算の結果、絵文字は数や単位から解放され、さらに表音文字化もされてコミュニケーションの道具へと発展し、さらに前2900年頃になると、歴史や宗教など会計以外の概念も表すことが可能になった、と。この点についても、象形文字は、その後、線描絵文字とは異なる歴史を経たのであろうか。
農耕の開始によって序列社会が到来したことで必要に駆られてトークンが発達し、コンプレックス・トークンも産業や官僚国家の発達に伴って発明されたと言うが、その割には、線描絵文字や表音文字化は、社会経済的発展とは独立して生じた、純粋に頭の中の認識的な発展だったと言う。前3000年前後というと初期王朝時代が始まろうとしていた頃である。自らの王統を正当化するうえで、文字によって固定し、歴史を既成事実化する作業は有効だっただろうから、楔形文字への発展と社会構造の変化が、関係がなかったと思えないのだが、いかがなものだろう。
などなど、疑問点は少なくないが、訳者も指摘するように、トークンという遺物をキーワードとして、オリエントの歴史、社会構造、文化を論じたものとして一貫している。訳もこなれて読みやすい。