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敵あるいはフォー (新しいイギリスの小説)
  

敵あるいはフォー (新しいイギリスの小説) [単行本]

J.M. クッツェー , J.M. Coetzee , 本橋 哲也


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商品の説明

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   漂流した英国人女性がとある島に流れ着く。そこで彼女が出会ったのは、何とあのロビンソン・クルーソーとフライデイだった。ところが、クルーソーは無人島を脱出する気力をなくしてすっかり気難しい人物になっているし、下僕のフライデイもなぜか舌を抜かれていて喋れない。話すこともやることもない、およそ冒険談とはほど遠い退屈な毎日は、ある日通りかかった船に救出されることであっけなく終わる。英国に戻った彼女は自身の体験を本にするべく作家のダニエル・フォーに執筆を依頼するが…。

   ブッカー賞史上初となる2度の受賞に加え、2003年にはノーベル文学賞も受賞したJ・M・クッツェー。本書は、そのクッツェーがダニエル・デフォーの名作『ロビンソン・クルーソー』を下敷きに作り上げた、示唆に富んだ寓話的な物語だ。

   全編を通して「人食い人種」という言葉が頻出するが、植民地時代、西洋人は自分たちの論理の外側にあるものにそうした言葉を当てはめ、排除してきた。本書のフライデイは舌を抜かれたアフリカ人という設定で、まさに西洋人にとって「外側にあるもの」であり、そのため親しい人間ですら彼が「人食い人種」ではないかという恐れを捨て去ることができない。言葉が及ばない彼を言葉にするとき、そこに、いやおうなしに暴力が入り込んでしまうのだ。文明や人種という視点から言葉が本来的に隠し持つ暴力性を引き出し、「言葉で世界を表現するとはどういうことなのか」という大きなテーマが議論されていく。

   ストーリー性はあまりなく、語り手の女性をほかの登場人物による創作だと匂わせるなど、フィクションにフィクションが交錯する造りになっている。特に後半部は哲学の問答のような会話が連続し、抽象的だと感じる読者もいるかもしれない。だが、「パロディー」的設定とシンプルでわかりやすい文章で、読み手を認識の奥底まで引き込むその手腕は見事。言葉の大海原に漕ぎ出そうとするものには格好のテキストだ。(小尾慶一)

出版社/著者からの内容紹介

 ロビンソン・クルーソーの島に一人の英国人女性が流れ着いた。島は、我々が漂流記で知っているような緑豊かな楽園ではなかった。不機嫌なクルーソーとなぜか舌を切られているフライデイ。救出された女性は自らの体験の物語化を作家フォーに頼むが。ブッカー賞作家が描く精緻にして大胆な寓話。

内容(「BOOK」データベースより)

ブッカー賞作家による『ロビンソン・クルーソー』の大胆な読み変え。クルーソーの島にひとりの女が流れついた。フライデイとともに帰国した彼女は、みずからの体験に言葉を与えてくれる作家を追い求める。作家の名はダニエル・フォー…。厳しく精緻な輝きに満ちた寓話。
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