定時制高校の担任によるドキュメントだが、この高校の全日制は進学校として有名だという点は興味深い。
定時制高校は本質的に社会から隠蔽されている。
全日制の生徒からもなぜ夕方登校する生徒がいるのかと不思議がられ、全日制の学生の保護者からも侵入者と間違われる有様だ。
日中働く定時制の生徒達は、半分は「社会人」である。
社会人としてのプライドを不器用ながら保とうとしてい彼らの論理をまずは明らかにしなければならない。そのため彼らを「高校生」という枠に押し込めて、指導する/指導されるという関係に持ち込むのではなく、教師の方が世間知らずな場合もあるという可能性も意識して、彼らとの「関係性の厚みを膨らませて」いかなければならない。
いわゆる金八先生ではない。
生徒がなぜ暴言を吐き暴力を振るったのか、結局わからないこともある。すべて体当たりで解決できるはずもないし、わからないまま厳しい処分を求めることもある。そういう意味で、熱血教師の美談を求めるなら肩透かしをくらうだろう。
それでも「生徒側の論理」に少しでも肉薄しようとする著者のスタンスと観察力が、毎日下っ端仕事で疲れた後に息抜きや癒しを求めて机に座っている生徒にとって、小さな救いになっているのは間違いない。
著者に「殺すぞ!」と叫んだ生徒に対して、退学処分を主張する同僚の教師たち。
「しかし、そのように述べる教師ほど、生徒と保護者との長くて険しい退学交渉の道を歩んだ経験もなければ、この問題にかかわっていく覚悟もない教師であった」
定時制の生徒は、すぐれて教師のあり方を問う存在であるし、それはどのような教育現場においても、ルールを生徒に当てはめるだけの教師がもたらすものはコミュニケーションの疲弊だけだと教えてくれる。