『 だけ 』でできるのなら、現状の1学年100万人の8割が英語が喋れるもしくは東大英語90/120点ができる状態でなければこの表現は誇張である。
『 理論上できる 』というのは学者の発想であり、残念なことに在野の指導者による『 現場感覚 』ではない。
だれに向けたメッセージなのだろうか?
この残念な著者は英語専門のため、受験における「 英単語 」「 英文法 」「 数学'TA'UB 」 「 数学'VC 」「 現代文 」「 古典 」 「 社会 」 「 理科 」のつながりがみえていない。
英語が上がらないときに「 数学を何をどのタイミングでどうすべきか 」
英語が上がらないときに「 現代文を何をどのタイミングでどうすべきか 」
英語が上がらないときに「 反復方法はタイプ別で適切な指示ができるか 」
そして何より 「 あがったという実績はあるのか 」
※もちろん一部のできる生徒じゃなくどんなにできない生徒ですらである。 「 資本主義社会の洗礼 」をうけたのか疑問だ。コネクションで実績がでたというのではなく、『 先輩がこれいいね 』と薦めてくれるかどうかである。
結論からいうとこの著者のもとには『塾・予備校を開いても集まらないか集まってももともとできる生徒くらいしか集まらない』。なぜなら価値がないから。
教育は伝えるということであり、本当にその方法論で『伝わる』かどうかである。
本当に 『 だけ 』でできるのなら『 教科書を売れば書店で売れるはずだし、アマゾンで何百件という高い評価を得られる』はずだ。だって『 だけ 』で伝わるんでしょう?
※私がこのコメントを記載時には★5つが2人だけでした。
売れないのだから現実をみよう。また大学入試を語るのなら、英語・数学・現代文・古典のつながりを示して、センター英語20/200点で大学進学するかどうかの非進学校・5文系すらしらない状態の生徒を1カ月で160点に伸ばせるくらいの『 最低ラインの指導力 』を身につけてからその言葉を語ろう。ただの英語バカによる著作物であり大学入試という5教科7科目
のバランスを無視した学習法である。
狭い世界で生きる人にはちょうどよい暇つぶしの本だろうが、受験生には薦めることはできない。
読むだけ 『時間の無駄』だから。
第一、『 だけ 』でできるというのなら『 あなたが出版した著作物はすべて無駄 』だから。
『 だけ で できない 』から単語帳なり長文集だしているのではないのだろうか?
言動には責任を持とう。
ただし例外として
自分の学年の先生・さらに自分のクラスに『 教科書を使いこなせるだけの先生 』に中1〜高3までの6年間ずっと当たれば
理論上可能です。
まあ無理ですけどね