ツチヤ教授が書かれる抱腹絶倒ともいえるユーモアのセンスに驚嘆し、文章の巧みに感心しながら読み進めました。毎回、奥さんや研究室の女性に対してひどい口調で語っていますが、それを許すのもまたお人柄の良さなのかもしれません。
どの「エッセイ(小話かもしれませんが)」も鮮やかな切り口を持ち味としています。シニカルでありながら、対象とする人達への温かい視点が感じられ、その観察力に裏付けられた話題の展開に対して拍手を送りたいと思います。大学教授という世間のイメージとのギャップにビックリすることも多いと思っています。
筆者の土屋賢二氏はお茶の水女子大学教授で、それぞれのエピソードをこのように披露して本当に大丈夫かなと思うほどです。それが許されるのは、日頃のツチヤ教授の実態にあるようですが、それはあえて書かれていないのもまたツチヤ先生の人柄でしょう。
「軽井沢の教会 初の出来事」では、ご自身がジャズ・ピアノを演奏するくだりを面白く書かれています。他の本でも書かれていますが、本人は謙遜されていますが、意外と多芸な方ですね。「あえてピアニストにならない理由」で書かれているように、バイエルが弾けなくても、ジャズ・ピアノは弾けるのだと書いてありました。ジャズピアニストの国府弘子さんに聴かれてあがるツチヤ教授の姿がそこに出ていました。
ツチヤ先生は哲学者なのですが「そうじゃなくて!」での「哲学問答」は実に上手く出来ています。このような文章を書けるからこそ、多くの出版を重ねるような人気を博しておられるのでしょう。
本書の内容の一部です。
四の章(理由はいらない、認知症の疑い ほか)
面の章(うやむやに終わらせる方法、「もったいない」精神は有害だ ほか)
楚の章(ジコチューがいっぱい、松本教授退職記念パーティ祝辞 ほか)
歌の章(弔辞の書き方、電車で席をゆずるとき ほか)