◎昭和三十三年、戦後日本を象徴する歓楽街「赤線」が消滅した。この空間は、戦後、自然発生的に生まれたものだったのか? 気鋭の研究者が、膨大な資料とフィールドワークで、その誕生の謎に迫る。
◎たしかに、赤線は占領下で成立した。けれどもその要因は、はたして「占領下」という特異な状況だけだったのだろうか。
敗戦からわずか一、二年のあいだに、政府黙認の集団売春街が、赤線として地区指定されているのである。このあまりにスムースな戦後売春街の成り立ちを考えるとき、右往左往するどころか、何のためらいもなく、きわめて迅速に占領軍向けの「慰安施設」を用意できるだけの周到さ、言い方を換えれば、それを可能にする旧来の制度や遊郭という物理的な基盤にくわえて、もっと別の側面があったように思われる。 (本文より)
【目次】
第1章 赤線の誕生
第2章 カフェー街としての赤線
第3章 特飲街成立のミッシングリンク----東京の事例から
第4章 駅に近接する個室付浴場街----金津園(岐阜市)の来し方をたどって
第5章 赤線ではなく青線、それが問題だ----国際園(岐阜市)の移転問題
第6章 京花街の周辺文化----雇仲居と席貸(戦後編)
第7章 戦後那覇の都市建設と「歓楽街」の設置問題
【著者紹介】
加藤政洋(かとうまさひろ)
一九七二年信州生まれ。大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程修了。博士(博士)。専攻は社会・歴史地理学。流通科学大学商学部助教授を経て、現在、立命館大学文学部准教授。著書に『大阪のスラムと盛り場』(創元社)、『花街』(朝日新聞社)、『京の花街ものがたり』(角川学芸出版)、共著に『モダン都市の系譜』(ナカニシヤ出版)、共編著に『都市空間の地理学』(ミネルヴァ書房)がある。
登録情報 |
|
|
|