下巻は第四部の六章分と、第五部の二章分、第六部の一章分、それにエピローグが収録されている。上巻が占領下の各階層の社会心理にフォーカスした性格が強いのに対し、下巻は占領下の統治の実態について具体的な経緯が多く語られている。
特に強烈なのは第四部に収録されている部分で、天皇制民主主義(三章分)・憲法的民主主義(二章分)・検閲民主主義(一章分)とそれぞれ副題を付されていて、その記述に満たされている生々しい政治的駆け引き、騙し合い、脅し、密告、妥協、裏切り、偽善などの渦には読んでいくごとに圧倒されてしまう。よく、戦前・戦中・戦後の歴史を学校は教えようとしないことが言われるが、ここで読み取れる成り行きを辿っていくと、教育現場が教えようとしないことも、もっともだと思えてくる。白でなければ黒で、黒でもなければアカだろうといった考え方では十全に捉え切ることの出来ない現実が、ここからは読み取れる。著者はそんな事実を多く盛り込んだ上で著者なりの纏まりを与えようとしているが、そんな思惑を超えて、様々なことを考えさせてくれる著述になっている。
果たして、ここに記録されている、相手にされたことだけでなく、日本人自らが主体的にした行動の数々を、先行する世代の人たちはどんな風に総括しようとしたのか? 総括したのか? どう伝えようとしたのか? 伝えたのか? 伝えようとしなかったのか? ここにある事実を、後続の世代にどう伝えればいいのか? 伝えることが出来るのか? 伝えていいのか? ためにする主張や批判ではなく、事実の集積を記録して後の世代が容易にアクセスできる形に纏めてくれたのは、本書の著者だった。この上下巻を通読した後では、日本の伝統、日本の精神、日本の風土、日本の風などという言葉たちに見受けられる自明性ははっきりと消え失せてしまう。「日本的」とはどんな内実を含むのか、今までにはない問が生まれてくる。ここでの占領の記録は、いまだに歴史になってはいないようだ。人口に膾炙され、受け止められて、十分な理解と消化・吸収をなされていないからだ。最近盛んに流布されている「白洲次郎神話」が矮小化しようとしている当時の社会の諸相が、ここには鮮度を保ったまま保存されている。ここでの内容が大多数の人々にとって常識の範疇に成り果てるまで、本書の鮮度は失われないだろう。逆に、「白洲次郎神話」を流布しようとするのはどんな立場の人なのかも、ここでの記述から理解できるだろう。是非、多くの人に読まれるべき著作だと思う。