アフロダイテ・ジョーンズ著の「マイケル・ジャクソン裁判」と同様に、重要な本だと思います。
訳本が出て目にふれることができることに感謝します。
周知のことですが、93年の児童性的虐待疑惑事件についての詳細が語られています。
無実であることはすでに分かっていることですが、原告側の弁護士事務所で法務秘書として働いていたジェラルディン・ヒューズの客観的な記述というものに
興味をひかれましたし、何より彼女の勇気に、敬意をもって読みたいと思いました。
結果、やはり読んでよかったと思います。
「和解」にしても、当時マイケルが無実なら、何故和解に合意したのかと、批判を浴びたそうですが、そうせざるを得なかった背景が詳しく綴られています。
ここでは法律用語がバンバン出てきて、私などは熟読しないと、理解が困難な部分があるのですが、それでもできるだけわかるように、かみくだいて解説して
くれており、知っていた気でいたことを、まず反省しました。
要は、裁判で闘うには、非常に不利な、マイケルの憲法上の権利が著しく無視された状況下にあったということなのです。
全くもって理不尽なことです。恐喝という立派な犯罪が計画されてたにもかかわらず、それについては形程度の捜査しかおこなわれず、虐待については莫大な
費用(税金)をかけて捜査し、彼の偉大なキャリアをずたずたに引き裂いたのです。そしてそれをメディアが残酷にも利益のために助長した・・。
あるまじき事態がひきおこされてたにもかかわらず、彼は創作の手を止めることはなかった、そして世界をよりよくするために、不幸な子供達のために尽力を尽くす手を止めなかった。うちのめされ、悲しみ、怒り、想像を絶する精神状態であったろうにもかかわらずです。
完璧主義者であるが故に、アルバム制作に時間を要する彼でしたが、それでも、この言われもない罪に問われることがなければ、90年代にアルバムのもう
1枚や2枚は出せてたのではないでしょうか。しかし、さらなる苦痛が2000年代に待ち受けてたのかと思うと、本当に胸が痛みます。
そしてマイケルは亡くなった、愛らしい子供達をもうけて幸せではあったかもしれないけれど、でも彼は亡くなった。何故なのか、何故彼は死ななければ
ならなかったのか?
著者は、現在は聖職に就いておられるので、神についての引用も多用されてますが、私はクリスチャンではないですが、マイケルは、神様から地上に遣わされ、そして神様に、もういいよ、お疲れ様と、引き戻されたのでしょうか?コンサートを目前にして?
私にはわからないです。が、そういうことを思わされる本書でした。
Rest In Peace, Michael