この作品、平沢の公式サイトによれば…
インタラクティブ・ライブを前提としてストーリーが組み立てられたコンセプト・アルバム。
P−MODELの『スキューバ』以来ずっと続いている “全き人格の回復”がテーマ。
ニューラル・ネットワーク により統合された “全き人々”の世界の崩壊と “庭師KING” による救済を描く―とのこと。
独自の「世界観」なり「価値観」をバックボーンに配しながら、それを「歌」として表現するというのが彼の真骨頂である。しかも、音楽的な完成度も非常に高い。
P−MODELを「凍結」し、ソロ活動を始めた頃から音楽性全体の印象ががらりと変わった。フォルクローレやら東南アジア風のテイストやらを散りばめ、独特の「こぶし」的節回しを電子楽器をフルに駆使したテクノサウンドに乗せて、文字通り無国籍的で土俗的な匂いのする独自のサウンドにはかなりの中毒性がある。
いつのころからか、彼は(俗流ではない)真性の「ニューエイジャー」なのではないかと思いはじめた。「ニューエイジ」というよりは、むしろ「ユンギアン」と言った方が正確かもしれない。
リリースされるどの作品からも、時に近未来SF的なフレーバーただよいつつ、神話的、宗教的な荘厳さをさえたたえた、しかしながら、どこかノスタルジックな、それこそ万人の心の深層にある「元型的な受容体」のようなものを呼び覚ます不思議な吸引力を感じさせる。
この作品は、特にそうした感覚を強く抱かせる。 取り分け「橋大工」という楽曲はそれを代表するような秀作である。これはたとえば「救済」、殊に仏教、分けても大乗仏教の流れから現れる「中観」や「唯識」の思想。その根拠を示す経典、特に「華厳経」のエッセンスをわかりやすく、聴き手側からすればニューエイジ的な文脈で語られた「たとえ話」として表現されているようにも思える。
「何千もの川辺に音も立てず降りる完全なる地図には道が続くキミへと」という詞は、まさしく的確にそれをあらわしているように思う。
「つるはしをふり降ろし 夜通しで橋を架け」ているのは、表題の「橋大工」である。
彼、「橋大工」とは誰の心の中にもある、「高次の自己」なるものであろうか。
その結果「夜明けには(新しい)キミが生まれる」のである。かくして「救済」は成就するのだ。
果たして、平沢はこうしたミライを夢見ているのだろうか。彼の表現はそのためのアジテーションなのであろうか。