書名になっている「故郷忘じがたく候」は、秀吉の朝鮮出兵時に日本につれて来られた朝鮮人一族の今を取材したエッセイ風の物語である。名を沈寿官氏といい、朝鮮伝来の作陶技術をもって薩摩藩に長く礼遇され、すでに14代を数える陶工の名家である。
日本にきて400年余り、すっかり日本人になって、誰よりも薩摩人らしい薩摩人といわれ、それでもなお、旧暦8月15日の満月の夜は、故郷の山々の方角に向かって、この村人たちは先祖に祈りをささげる、という。時を経てもなお、ふるさとへの想いは深く、年輪を幾重にも重ねて消えることはない。
両国の間には歴史的な不幸が何度もあり、そのたびに犠牲になった無辜の朝鮮の人たちがいた。秀吉当時の日本人がしたことに対して現代の我々日本人に罪はない。詫びる必要もない。しかし、同じ人間として彼らの気持ちを理解することはできるはずだ。
沈寿官氏が400年ぶりに里帰りしてソウル大学で講演をした。そのとき、韓国の学生が口をそろえて三十六年間の日本の圧政について語ることに疑義を呈し、そのとおりではあるが言いすぎることは後ろ向きである、新しい国家は前へ前へと進まなければならないというのにこの心情はどうであろう、といい、
「あなた方が三十六年をいうなら、私は三百七十年をいわねばならない」
と締めくくった。聴衆は拍手はしなかったが、韓国全土で愛唱されている青年歌の大合唱で答礼した。沈氏は目が涙でかすみ、動けなかったという。この光景に強く感動を覚える。
朝鮮半島の人々との間には、ずっとなにがしかのわだかまりがある。掌編ながらも、そのことに思いをいたすよいきっかけとなった。これは司馬作品の中でもぜひ読んでおくべき一編である。
ほかに、幕末の会津討伐前夜を描いた「斬殺」、戦国末期、細川忠興とその美貌の妻、ガラシャを描いた「胡桃に酒」の二編。いずれも短編ながら重厚な趣きである。