膨大な柳田民俗学の内幕を明かす自伝的回想といえる著書でしょう。
幼少期の思い出は、柳田が極めて霊感的な敏感な感受性の持ち主である事を認識させる。少年期から青年期にかけて柳田は、文学の虜になり、詩や小説らしきものの創作にまで志すような青年であったが、経歴から見れば途中で方向を変え、農商務省の官僚として農政の役人の道を選択する。時代の機運からすれば、それは正しかったであろう、経済的安定の基盤が無ければ,民間に伝わる伝承・伝説・風習・逸話を採取し、それに民俗学的省察を加える事は時間的にも金銭的にも出来ないし、文学的創作も詩作も不可能と判断したからだ。
柳田の感受性は、文学から日本古来の民族性の探求に方向を変えた、語源の研究、山人の研究、民話伝承の研究、そして、日本文化の起源を構想した稲作の起源をめぐり、海上の道へと深まり広がりを見せてゆく。柳田の詩的感受性は、そこに於いても十分に民俗学の業績に反映されている。日本人の起源、日本文化の起源を柳田は生涯のライフワークとして、様々な資料を収集し分析し構想を暖めてゆき、歳を経ても柳田の探究心は衰える事を知らない。民俗学を押し進める情熱の中核には、一見、合理的精神に見える基礎に、直感的なともすれば霊感的な感受性があったと言えよう。
柳田民俗学と対峙する一方には、南方熊楠の博物学的宇宙論と粘菌を通じた、今で言う、地球環境の生態自然学がある。また、競合者としての渋沢敬三の「アチック・ミューゼアム」があり、そこでは柳宗悦の日本の美を基にした芸術運動があり、その上に宮本常一の日本全国を隈なく歩って採取した膨大な記録がある。これ等の人々は、多様な分野に亘る日本民俗学の豊かな水脈に寄与している人々であり、それらの上に日本の民俗学は形を成している。
この「故郷七十年」は、柳田國男を知る上で不可欠の回想であると共に柳田民俗学の舞台裏の模索を知る上でも不可欠の著書であろう。