国全体が敗れた戦争の後。海に面した辺鄙な山村。昔からの自然と畑の作物。時節が廻ると共に全てがゆっくり移り変わる。また村には、自然だけでなく、肉親。知人。学校友達など互いに村で生活し、その中で心が通い合う人達もいます。その人達が共に行なう村の伝統的な様々な行事や習俗。村人は互いに交流し、共通の時を持ちます。ところが、そんな穏やかな時間の流れを断ち切る怖ろしいものが、突如現れる。突然の死。別れ。そんな時に、日常忘れられている自分の心の奥に潜んでいる不安が表に出てくる。そんな人のありようが、描かれています。
村の背後にある山の上には、大事にされてきた石座があり、街道に面して神社や寺があります。石座は、人を守護し幸いをもたらす「明神」が、はじめて現れ、祀られた痕。また神社・祠は「明神」を迎えまつる客殿です。「明神」は、元は人に祟りをする圧倒的な力を持つ「もの神」でした。人が「もの神」を祀ることで、祟り神は、害を与えるものから転じて、村人を護る「明神」に変わったのです。八幡明神、峠の明神、海の明神がおられます。この明神を祀っているのが、死んだ人の「たま神」です。八幡明神を祀っているのは、応神天皇の「たま神」である八幡大菩薩。峠の明神を祀る「たま神」は、馬頭観音。海の明神を祀っている「たま神」は、妙見菩薩です。後の人は、菩薩や観音になった「たま神」を祀ることで、間接的に「明神」を祀っているのです。今では判りにくくなった日本人の神祀りの構造図が、明らかにされています。
小説の形を借りて、日本人の基層にある生き方・死に方・神との関わり方が掘り起こされ、提示されています。これを対象的思惟で切っても何にもなりません。この語り口を選んだ著者に、ひとまず従い、自分自身の内部にあるこの層を、非反省的な形で露にし、それを自分の心が納得できるかどうか、自分に聴くことが必要なようです。