まさに、万歳万歳万々歳である。あの『政治的無意識』が、ライブラリー版として帰って来たのである。
まずは、これだけ厚みのある専門書をライブラリー化するという、やや常軌を逸した決断を下した平凡社の勇気に讃辞を送りたい。「あとがき」によると、「理論編」だけを切り離して出版するという計画もあったそうだが(そして、商売の観点からすれば、間違いなくそれがもっとも「合理的」な判断だったのであろうが)、そのようなパッケージ化=生体解剖に走らなかったことの意義は大きい。なぜなら、本書は、「解釈」をめぐる「理論」と「実践」とが有機的に(いや、「弁証法的に」と言うべきか)結合した稀有な研究書、少々おおげさに言えば、文学理論史上のひとつの奇跡であるからだ。(その意味で、本書の2年後に世に出たサイードの『世界・テクスト・批評家』とともに、まさに双璧であると言えるだろう。)
ジェイムソンの作品にはムラがある、とよく耳にする。ときには酔っ払って書いているのではないか、などとも。「強力な誤読」を旨とする豪快な批評家であるから、たしかに、作品の出来にはばらつきがあることもあろう。しかし、その膨大な著作群から最重要書を3冊選べと言われれば、撰者が誰であろうとも、まちがいなく『政治的無意識』はその中に数えられるだろう。(あとの2冊を書評子が選ぶならば、アドルノ論とポストモダニズム論だろうか。いずれも邦訳がまたれる。)北米におけるマルクス主義文学批評の神髄に触れる意味でも、ジェイムソンというひとりの思想家のバックボーンを知るうえでも、本書にまさるテクストは、まずないと言っても過言ではないだろう。流行りの「現代思想」をかじって、「フランス思想はアメリカに輸入されて骨抜きになった」などという(それ自体、パッケージ化された輸入言説である)クリシェをしたり顔で吹聴している諸氏には、ぜひともこの機会に本書をひも解いていただきたいものである。
さらに、本書のスローガンにならって、このライブラリー版自体も「歴史化」してみる必要があるだろう。「理論」を徹底的・生産的に受容することなく消費にやっきになってきた日本のアカデミックな文学研究が、理論的言説の退潮とともに、意匠/衣裳をかえただけの粗暴な主観主義や素朴な歴史主義に退行しているかに見える今日であってみれば、30年前のジェイムソンの介入は、まさに「いま・ここ」への介入でもある。20年前の「訳者あとがき」「キーコンセプト集」が決して古びてみえないのも、故なきことではないのである。「幸福の約束」は、確実に受け渡されている。
学生の時分、本書が手に入らず、図書館で読みふけったことが思い出される。手ごろなライブラリー版として普及することによって、自分の本棚に本書を置いておけるとは、今日の学生さんはなんとも幸福である。