直接税は税を課せられる人と支払う人が同じ税(所得税、法人税)、間接税は税を課せられる人と支払う人が異なる税(消費税など)と定義される。直接税は痛みを感じやすく、間接税は感じにくい。よって、税金を集めやすいのは間接税であるが、負担の公平といいう意味では直接税が優れている。直接税は累進制が多い。直接税の割合を上げれば低所得者層に有利で、間接税の割合を上げれば高所得者層に有利である。
教育の政治的中立は一つの理想ではあっても、けっして現実ではない。
政治は基本的に対立や紛争に関わっている。それは社会的価値の争奪を巡る紛争である。この紛争を調整し、解決し、社会の統合を図ることが政治の機能である。
政治的解決とは紛争を権力によって解決することである。権力とは「制裁力を背景に紛争を解決する能力」であり、制裁力とは「相手の所有するなんらかの価値を相手の抵抗を排して剥奪する力」に他ならない。
国民の日常生活すべてが国家の統制下に置かれるのではなく、先進諸国では国家の機能は限定され、国民の生活は自主的自立的に営まれている部分が少なくないだろう。このような国民の自主的自立的活動を通じて営まれる社会は市民社会と呼ばれ、その構成員は市民と呼ばれる。そこでは、市民の自主的活動が作り上げた相互依存の体系が社会秩序の意味を持ち、国家が介入する必要がなく、国家は対内的には法秩序の維持、対外的には安全保障の維持だけにつとめればよい(夜警国家)。国家の市民生活への介入は相互依存の体系を混乱させるおそれがあるので、自由放任主義こそ政府のとる最善の方策であるとされた。こうした自由放任主義が成り立つためには、自主的自立的に行動しうる社会構成員の存在が前提である。本来市民とは「財産と教養」を持ち、それゆえ自主的自立的に行動しうる人々を指す言葉であった。19世紀までは制限選挙が普通で、政治に参加するのは国民の一部の市民だけであった。このころには、自由市場で資源は適切に配分され、労働者の賃金もほぼ公正に決定されると考えられていた。
しかし、20世紀にはいると普通選挙制に移行すると、市民に変わって大衆が世の中を動かすようになった。大衆社会は自主自立的活動の可能性を持つが、国家との一体化を強く求めたり、諸要求を政府を通じて実現する(大衆デモクラシー)傾向が強く、「自律的に秩序を形成する能力は著しく低い」。また、至上が資源の最適配分に失敗するケースが目立ち始める。こうして社会における需要と供給のバランスが自然に保たれる状況でなくなると、市民社会の秩序だけで社会の安定が図られなくなり、夜警国家は福祉国家に転換し、小さな政府から大きな政府への移行が進んだ。
失業、医療、貧困はかつては市民社会の問題であり、国家の問題ではなかったが、市民社会で解決できないと国家も無縁とは行かなくなった。社会問題は国家・政府の問題になった。
19世紀までの夜警国家の時代は社会問題は市民社会が解決し、国家と議会が処理すべき問題が量的にも質的にも制限されていたことが議会中心主義を可能にした基本的な条件であった。しかし、20世紀に入ると経済や社会の多くの領域で自律的な秩序形成が困難になり、国家の介入が必要とされはじめた。例えば経済の領域では好不況の振幅が激しく大きくなり、極端な景気変動を避けるには政府が何らかの形で経済の循環に介入せざるをえなくなった(以前は市民社会が解決できた)。また、労働・失業・住宅・厚生・貧困といった社会問題は、労働者の発言権の増大や深刻化によって政府の介入による公的解決が期待されるようになった。こうして政治的領域が量的に拡大し、質的に複雑化すると、政治における専門的技能の必要性が飛躍的に増大する。しかし、議会は本来的にアマチュアの集団であり、専門的知識や技能において行政部に劣ることは否定できない。さらに議会で処理すべき問題が多くなると、一つ一つ十分討議することが出来なくなる。そうなると、議会の審議が実質的な意味を失い始め、行政部の政治的比重が増大し始める。法案を準備するのも行政部の機能になり、議会はただその法案に法律としての形式的要件を付与するにすぎない場合も多い。政治的統合に関して行政部の果たす役割が議会のそれを上回る国家は行政国家と呼ばれる。
行政国家は行政部の肥大を招き、様々な弊害を生み出している。最近はこういった批判への反省から、小さな政府、議会の復権というべき現象が起こっている?
日本には国家公務員117万人、地方公務員332万人で就業人口の7%は公務員である。
小さな政府のために必要なことは、規制緩和と民営化である。
日本の司法は、統治行為論の名の下に政治に介入しようとしないが、これは法令審査権を空洞化するおそれがある。
20世紀になると、加速度的な産業化と都市化は社会の大規模化と複雑化を促進し、市民社会の前提である個人の予測可能性と自律性を著しく低下させた。特に普通選挙が確立されて市民に替わって大衆が政治過程に登場すると市民社会を支えていた自由主義も交代せざるを得なくなった。
自由主義とは自由な選択の保障に他ならないが、自由な選択が意味を持ちうるのは、人々が保障された自由によって積極的に個々人の福祉を追求する場合に限られる。それゆえ、自律的市民が自己の責任において各自の福祉を追求することが原則とされ、その現実が意味を持ち得た市民社会においてのみ自由主義は意味を持ち得たのである。
しかし、大衆の出現とともに自己責任の原則は崩れる。個人はもはや失敗の責任を全面的に負うことには耐えられない。なぜなら不況や戦争のように個人の予測能力をはるかに超えたところにその原因が求められることが多くなったからである。