出版社/著者からの内容紹介
内容(「BOOK」データベースより)
著者について
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1966(昭和41)年福岡県出身。早稲田大学政経学部卒業後、産業新聞社入社。仙台総局、社会部等を経て政治部。官邸キャップ、自民党担当等を務める。2009年から二度目の官邸キャップ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
About this Title
政権交代とはいったい何であり、どんな意味があるのか。
民主党に、本当に政権を担う準備と資格はあるのか。
政権交代によって日本はどう変わり、どこへと向かうのか。
平成21(2009)年初頭から夏にかけて、繰り返し自問自答した。政治部記者として多少なりとも政治の現場に立ち会い、直接・間接に民主党議員の言動に接してきた者として、あまり好ましい結論は思い浮かばなかった。だが、すでに潮の流れは決まっていた。
当時の政権党である自民党は、時代に適応した体質改良を果たすどころか、無思想・既得権益優先の古い自民党に先祖返りしていた。国民に新たな夢や希望を提示することはできず、ただ旧態依然とした党内抗争や分裂劇を繰り返していた。
自分たちが賞味期限切れの粗悪品であることを自ら宣伝しているかのようで、当然、麻生太郎内閣の支持率も低迷していた。国民が、新商品である民主党の目新しさと清新さに注目するのも当然だったろう。
途中3月には、準大手ゼネコン、西松建設による違法献金事件で民主党代表の小沢一郎の公設第1秘書が逮捕され、民主党の勢いは一時失速した。
しかし、これも5月に小沢が代表を引責辞任し、幹事長だった鳩山由紀夫が新代表に就くと再び盛り返す。7月には鳩山自身の重大な偽装献金問題も発覚するが、もはや大勢に影響はなかった。
後に民主党政権を揺るがす大問題として再浮上する小沢と鳩山の「政治とカネ」の問題は、衆院選前から指摘されていたのである。しかし、政権交代の4文字の持つ魔力の前に、些細なことであるかのようにかき消えていった。
また、多くの文化人やメディアも政権交代が必要不可欠であるかのように煽ったことも大きい。例えば、民主党結党以来の支援者である北海道大学教授の山口二郎は、雑誌『世界』(平成21(2009)年9月号)でこんな極論さえ述べていた。
「政権交代は日本の民主政治にとってそれ自体目的である」
「(財源の)細かい数字は後からついてくるのである」
まるで、政権交代のためならば手段を選ばず、「財源なんて政権を取れば何とでもなるんだ」と言い続けた小沢とそっくりの言い分だ。
東大先端科学技術研究センター教授の御厨貴は、雑誌『文藝春秋』(平成21(2009)年6月号)の対談記事で、民主党政策のあいまいさについてこう擁護している。
「民主党の政策がまとまっていないという指摘がありましたが、政権を獲ったことがないから仕方がない面もあるんです。(中略)あんまりそこを言うのはかわいそうかなと」
御厨は、民主党の弱点とされた外交・安全保障問題についても、「現実路線を踏まえて軌道修正すればいいんです」(8月5日付産経新聞インタビュー)とかばっていた。
新聞やテレビを通じて、こうした民主党のサポーターのような「識者」たちが日々、まことしやかに政権交代の意義と必然性を説き続けたのだ。政権交代を疑問視したり、否定したりする言葉は口にしにくいような空気すら生まれていた。
だが、民主党を持ち上げた彼らはいったい、民主党のどこをどう見て評価していたのか。政権交代を急ぐことの危険性には思いは及ばなかったのか。
こんなはずではなかった----。政権交代によって、内政でも外交でも、日本の政治が本当によくなったと、どれほどの国民が感じているだろうか。
平成23(2011)年元日。それまで政権交代の意義を持ち上げ、さながら民主党応援団のようだった朝日新聞が、年頭の社説でこう書くに至った。
「なんとも気の重い年明けである。
民主党が歴史的な政権交代を成し遂げてから、わずか1年4カ月。政治がこんな混迷に陥るとは、いったいだれが想像しただろうか」
だが、この問いは牽強付会に過ぎ、言い訳じみている。今日の惨状は、かなりの確度で予想できたことではなかったか。
現実は、政権交代という言葉が持つダイナミックで若々しく、新鮮なイメージとはほど遠かった。民主党政権は時代の閉塞感を打破するどころか、ひたすら荒涼とした寒々しい光景を見せつけた。
平成21(2009)年9月、衆院選で308議席獲得という歴史的な大勝を果たして発足した鳩山由紀夫内閣は、政治とカネの問題と、米軍普天間飛行場移設問題をめぐる失政に押しつぶされ、8カ月余で総辞職した。日米同盟の損壊という置きみやげを残して。
鳩山の退任を受けて平成22(2010)年6月に成立した菅直人内閣は、財源を見つけられずに消費税率の引き上げに走った。さらに、沖縄・尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりをした事件をめぐる稚拙で姑息な対応で、国民の怒りと失望を招いて座礁した。菅内閣の閣僚らの失言、暴言、食言は、政治不信をさらに深めた。
その間、民主党が繰り返したのは、例えば自民党の派閥政治以上にせせこましく見苦しい国民不在の権力闘争、足の引っ張り合いだった。
子ども手当は約束の半分にとどまり、高速道路無料化はごく一部に限定された。公務員の人件費削減も、天下りの全面禁止も骨抜きにされ、廃止されるはずだった揮発油税の暫定税率も現状維持となった。
無駄遣いをやめ、予算の組み替えを行えば出てくるはずの10数兆円は、とうとう見つけられなかった。
「政治主導」の名の下で、独りよがりで手続きを踏まない未熟な政治手法がとられ、霞が関は機能せず、国会は停滞した。
彼らは、国民との約束だったはずの衆院選マニフェスト(政権公約)はなし崩しに放棄した。その一方で、マニフェストからはあえて外し、国民の目から隠した永住外国人への地方参政権付与や選択的夫婦別姓(親子別姓)制度の導入などは、水面下でしつこく狙い続けている。
さらに、平成23(2011)年3月11日に起きた東日本大震災では、決定的な危機管理能力の欠如をあらわにした。戦後最大の国難にあたって、首相の菅は物事の軽重も優先順位も理解せず、人気取りのパフォーマンスを繰り返し、うろたえて涙ぐみながら周囲に当り散らしていた。さながら悪夢のような光景だった。
もう、うんざりである。
今日の事態を、筆者や筆者が所属する産経新聞が正確に予想していたとは言わない。だが、かなりの部分、こうなるだろうと見ていたのも本当だ。
民主党政権の実情と体質、そのはらむ問題点や不安、懸念については紙面でその都度、可能な限り指摘してきた。むろん、十分だったとは言わないが、少なくとも政権交代に対してバラ色の楽観論をふりまくような無責任な報道はしてこなかったつもりである。
結論を言えば、民主党はあまりに幼く能力不足であり、政権交代はまだ早過ぎたのだ。日本の政治と政治家たちの実情を、国民に知らしめた以上の積極的な意味はあまり見いだせない。
そして民主党には政権を担う準備も覚悟も不足していた結果、政権交代後の日本はあてどなく漂流を始めてしまった。
本書は、民主党政権誕生前夜から平成23(2011)年3月までに筆者が産経新聞と僚紙、「SANKEI EXPRESS」に書いた署名記事の一部を時系列に沿って掲載し、その前後のエピソードや背景説明、感想を加筆する構成とした。時代の潮目、取材現場の空気などが伝わり、政治理解の一助となればと願う。
また、本書を書くにあたっては産経新聞政治部の取材情報も参考にさせてもらっている。この場を借りて、心からの感謝を述べたい。
(文中敬称略。なお、引用記事内では、年号などの表記を一部改めている)