戦中の暗い時世のなかで荷風の反軍国・反官の舌鋒は凄みを増して冴えわたり、挿入される街のうわさや風聞録のたぐいがコメディ・リリーフ的な役割を担い、当世女性流行の服飾や髪型のヘタウマ風スケッチに荷風の視力の確かさが見てとれる。
内容的には昭和16年のものがおもしろい。最晩年の荷風はほぼ毎日浅草銀座へ通い続けるが、その行動は八十歳間近の老人とは思えない。ただ、興味関心は薄らいでいくばかりで生活がハンで押したように固定化単純化されていき、内容も無味乾燥となる。
最後の年(昭和34年)の日記が無常である。突如体調を壊し、以後、病臥の日々が続く2ヶ月間に日記は次第に短くなり、とうとう月日と天候のみが記されていく。「四月二十九日 祭日 陰」。
さながら、ロウソクのともし火がふっと消えていくその瞬間に立ち会ったような感慨深い余韻があとに残る。