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それでも少しづつでもチベット仏教がいう相互依存が分かってきています。
二元論に依らない東洋の思想は、私を含めた日本人の根底にあるものです。
「意識」に対する執着から解放され、新しい世界を堪能してはどうですか。
多くの点で理解し合う二人だが,どうしても同意できないのは宇宙の起源について,すなわち創造者の有無についてだ。
天体物理学者は,(1)宇宙に生命と知性が生まれるためには,初期条件とその物理定数に,まさに天文学的なレベルでの精緻な調整がなければならない,ということ,(2)創造者抜きに宇宙の創造を説明できないこと,(3)創造抜きの宇宙論はビックバンとビッククランチを無限に繰り返す循環型宇宙モデルになるが,現在のところ,ビッククランチが実現するに十分な物質を宇宙は含まないこと,を根拠に,創造者原理に賭ける。
他方でチベット仏教の僧侶は,(1)宇宙ではつねに意識あるものとないものとは共存しており,物理定数の調整は不要である,(2)創造者原理はなぜ創造者があるのかという問いを出すのみ,(3)循環型宇宙論はいまだ否定されていない,として始まりの問題そのものを否定し,始まりはない,と主張する。
僧侶によれば,ライプニッツ的な問い,なぜなにもないのではなしに,なにかがあるのか,というのは実在論にむしばまれた的外れな問いであり,そのような問い自体,無効なのだ。
僧侶が創造者原理をロジカルに否定すれば,天文物理学者は無限に意識あるものとないものとが共存している,というのは仏教者の仮説に過ぎないと反論する。
個人的な印象だが,チベット仏教の僧侶は,なまじっかフランス人だからか,なおさら極度にキリスト教的世界観に反発を覚えるようで,なにがなんでも創造者を抹殺しないでは我慢がならないらしい。自分の意見には自身たっぷりのようだが,人間精神に関する瞑想実験を通じてえた知見のたしからしさほどには,かれの宇宙論は説得力がない。仏教の強みと弱みが,天文物理学者の的確なつっこみによって,明らかになるようだ。その点が興味深かった。
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