指紋の話なんてそんなに面白くないだろうと高をくくって読み始めたが、案に相違してとても面白かった。冒頭から語られているのは何と幽霊(!)の指紋の話だし、そこから話題はじつに多岐にわたり、指紋のみならず、ひろく人物同定の技術史が辿られてゆく。文章は端正でよみやすく、まるで推理小説のようなドラマティックなエピソードも豊富に紹介されているため、終章まで、いささかも飽きることなく、読書開始からわずか数時間でたどりつけてしまう。
なんとも贅沢な本だと実感されるのは、巻末の註や参考文献表を眺めてみたときだ。渉猟されている膨大な一次資料の大半は、どれもきわめて地味なもの(たとえば19世紀フランスの法医学の専門的な論文)であるようだし、もし自分でその種の文献を探したり読んだりしなければならないと思うとゾッとするが、本書の著者はおそらく、これらの硬い材料をあらかじめ大量にかみくだき、消化したうえで、いちばん味のある部分だけを選びとり、そこから、これほどソフトでリーダブルな書物を紡ぎあげているのである。地道で手堅いインプットと読者へのサービス精神にあふれたアウトプットとの間のギャップに、著者の並外れた技量が透けて見える気がする。