本書が出版されるまで樋口季一郎中将の名前を知っていた人は、果たしてどれだけいたのだろか。
これまでにも大東亜戦争(太平洋戦争)の将軍たちについては多くの評伝が書かれてきた。戦史家による評伝は別にして、文芸評論家・福田和也による山下奉文大将、ノンフィクション作家・角田房子による今村均大将、阿南惟幾大将、本間雅晴中将については、多くの一般読者の眼に触れて、記憶に残っているのだろう。
樋口季一郎中将をノンフィクション作家が、戦史ファン向けではなく、一般読者向けの評伝として取り上げたのは、もしかすると本書が初めての試みであるかもしれない。
著者は、この樋口将軍の生涯を誕生から戦後の逝去まで、事実関係にもとづいて徹底的に検証した。いわば人物プロファイリングといった趣で、淡々とした叙述に徹している。
陸軍情報将校としてのインテリジェンス専門家のキャリア、同期の石原完爾を始めとする陸軍内の交友関係、陸軍内外の豊富な人脈。芸術を愛し、多趣味であったエリート軍事官僚、ドイツ語畑でありながらロシア語を猛勉強しロシア専門家になった情報将校、ポーランドのワルシャワ駐在武官時代は社交ダンスを得意としていた。国際的視野も広く、複眼的にものを見ることの出来る、石原完爾の影響で日蓮宗を信仰した、穏健で人間的で理知的なリーダーであった
ジェネラル・ヒグチといえば、「ユダヤ人を救った将軍」として知る人ぞ知る存在であったが、「ユダヤ人を救った外交官」センポ・スギハラ(杉原千畝)に比べると、日本人のあいだだけでなく、ユダヤ人のあいだでも現在の一般的な知名度は決して高くないようだ。著者はイスラエルでも取材して、ジェネラル・ヒグチの名前が記載されているという「ゴールデン・ブック」の実物も確認している。
人道的な動機から、当時の同盟国ドイツの意に反してまでも、万難を排してユダヤ人を救うべく奔走したハルビン特務機関長は、その後のキャリアにおいてはアッツ島玉砕の司令官として、心ならずも多くの日本人将兵を死なせてしまうという運命の皮肉を味わう。まさに人生とは「禍福はあざなえる縄のごとし」。アッツ島玉砕と引き換えに、キスカ島の撤退作戦を成功させたのではあったが・・・
ロシア人とソ連という国家の本質を知り尽くしていた樋口中将は、8月15日の終戦の詔勅後も18日午後4時の武装解除開始のデッドラインのギリギリまで、北方領土の占守島に違法に上陸したソ連軍の侵攻を徹底的に阻止する命令を出す。樋口将軍の決断のおかげで、北海道がソ連の領土となり、民族が分断される危機が回避されたのである。
ハルビン特務機関長というインテリジェンス関係、占守島の戦いなどの罪状による、ソ連からの戦犯指名を回避できたのは、救出されたユダヤ人たちによる米国政府への強いロビー活動があったからだという。この事実に、著者はあっさりと触れている。
戦後の樋口将軍の人生は、ユダヤ人を救ったことよりも、アッツ島玉砕の責任者としての贖罪意識を持ち続けていたのではないかと著者はいう。本書を読んで、ラバウルの将軍・今村均大将の戦後にも比すべきものを感じたのは、私だけではないのではないかと思う。
劇的な盛り上がりには欠ける人生かもしれないが、出処進退が鮮やかで、誠実に職務(ワーク)と人生(ライフ)を全うした樋口季一郎という一人の日本人の生涯。ぜひ一度は振り返っておきたいものである。