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5 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
安易な結論に落ち着かない著者の姿勢に共感できる。,
By ネジムン (tokyo) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 括弧の意味論 (単行本)
カッコという文字コードにはどのような意味があるかを,さまざまな題材をもとに考察した本です。文章を書くうえで,日頃からカッコの使い方が気になっていたのですが,実際に自分がカッコを使ってきて漠然と考えていたことが,明確にまとめられていて助かりました。また,安易な結論に落ち着かない著者(人類学者)の姿勢には,非常に共感できます。以下,個人的に自分が気になったことを記します。 ●人間の言語と動物のコミュニケーションを分ける分水嶺としての,言語の再帰性。カッコで囲まれた(カプセル化された)内容は,その内容を無視したまま,言語行為を続けることができる。 ●ホモサピエンス段階における言語の急激な進歩。決定的であったのは,「新奇な知識を共有していることを愉悦と感じ,してないことを恥と感じる構え」 ●「道具とは,あるものを,もともとの「そうであるありよう」から切り離し,そうでない形で使うものなのである。(そして「そうでない形」は,そうであることの外部に向かって無限に広がっている。そのような,非限定性と呼ぶべき性質への契機となるのが,ほかならぬ括弧なのである。)」 目次 第1章 括弧をめぐる遍歴:週刊誌の括弧と現代思想の括弧 第2章 括弧という現象:区切ることでなにが起こるのか 第3章 括弧の歴史:括弧はどのように使われてきたのか 第4章 括弧の意味論:括弧の持つ創造的なパワー 第5章 括弧の行為論:共犯と誘惑のメカニズム 第6章 括弧の現在:括弧の使用はどのような意味をもつのか
3 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
ま、参考にはなる,
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レビュー対象商品: 括弧の意味論 (単行本)
面白くはあった。しかし、結局何も言えていない本だとも思う。この本には括弧の現代性と遍在性という2つの主題がある。それは著者も意識していて、「なかなか折り合いをつけることが難しい二つの立場」(p215)などと言っているが、私には著者がこの2つに折り合いをつけさせようとしているようには読めなかった。 著者はまず、さまざまな活字媒体における括弧使用の増加を指摘した上で、その分類を試みる(1・2章)。そこから括弧の根本的な働きを問う流れになり、「括弧の意味論」と題された第4章ではプログラミング用語から借りた「カプセル化」という概念がまず導入されて、これが数学の括弧や言語の再帰性、現象学のエポケーなどと関連づけられていく。 読者としては、そこからどのように括弧の現代性の話題に還っていくのかと期待していたのだが、一向に戻る気配はなく、話はどんどん括弧の遍在性の主題へと傾いていく。具体的には言語哲学における「使用」と「言及」の区別に進み、当然ながら論理階型の問題が取り上げられ、もうこの辺りからはデリダもベイトソンも永井均もゴフマンも、それからラムダ計算もと、とにかく「すべては括弧だ!」みたいな話になっていく(超越論的なんちゃってビリティw)。そしてこの境位から、おそらくこの辺りは著者がオリジナリティを主張すると思われる、括弧における「投写」構造の理論が提起される。 以上が「括弧の意味論」として括られるわけだが、著者はデイヴィドソンを導き手としてさらに先に進む。要は投写構造というのは確定され得ず「根源的な不確定性」(p209)に晒されているという主張で、「そこでは結局、さまざまな手がかりや経験が用いられ、確定的ではないが次善の推論がおこなわれている、としか言いようがない」(p209)という次第。意味という枠に束ねられるからこそ行為の分岐はある程度の範囲に収まる一方で、行為という「動き」なくしては意味が力を持てないという双対性があり、「このような形で、括弧における意味論的側面と行為論的側面は、相互行為の一般論の中に位置づけることができる」(p214)。だから「括弧の行為論」なんですね。 ……というわけで私たちは週刊新潮の見出しから何と相互行為の一般論にまで連れて来られたのだが、正直言って、近所の地図を描いてもらうつもりが地底奥深くのマグマの対流に立ち会わされたような気分がしなくもない。で、最後には括弧の「ご利用は計画的に」(p233)だなんて、全然笑えない「投写」で締められたのは、かなりの肩透かしだった。 因みに、私はチョムスキーらの言う「有限の規則から無限の文を生成する」とか、「再帰性によって文が入れ子構造的に無限に複雑化できる」といった主張に賛同しない。あえて言えば、それは言語一般の特性ではなく、ある特定地域の文字言語(数学を含む)の特性だろうと考えている。この見通しに立つなら、おそらく著者の言う「相互行為の一般論」は大幅に書き換える必要がある。
2 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
読み手は一瞬にして、括弧の意味を理解しなければならない,
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レビュー対象商品: 括弧の意味論 (単行本)
僕自身が何かを書くときに括弧を良く使うことから本書を手に取ることになった。「読者は『ん?何で括弧がついているんだ?』という疑問に思い、その理由の探索を開始することになる」(194頁) ということが本書の「始点」だ。 括弧とは「使う人」が相手(含む不特定多数)に対して投げかける一種の問いかけだ。括弧を付けることは、その言葉に特殊な意味を込めることになる。一種のウィンクみたいなものかもしれない。読む側は、直ちにその意味を読み解く作業を強いられることになる。 括弧の意味はいくつもあると著者は言う。時に「皮肉」であり、時に「他人の言葉」であり、時に「特殊な自分なりの意味」である。読み手は一瞬にして、括弧の意味を理解しなければならない。 面白いことに、その括弧がどういう文脈で使われているということは比較的容易に理解出来る気がする。そもそも括弧の意味合いが容易に理解されなければ括弧を付ける方も付ける意味がなくなる。 その辺は例えば「空気」という言葉を思わせるものがある。空気を読むという作業は日本では比較的重要である。その「空気とは何か」を言葉で表すことは難しいが、僕らにはそれが何かは分かっている。括弧の意味を一瞬にして共有できるということも、その感覚に近いものがある。 結局、「共有出来ている」という状況が実は一番興味深いのだと思う。「言葉で表すことが出来ない空気の共有」ということがなぜ可能になっているのかという課題は実は重いのだと僕は思う。KYという言葉が実はかなり深刻な非難であることもそこに起因しているはずだ。特に日本は物事の決定を「場の空気」で行っているという話も多い。太平洋戦争に反対する閣僚が反対出来なかったのは「反対する雰囲気ではなかった」という話も聞く。括弧の意味をすぐに共有出来てしまう状況は、そういう問題にたどりつく可能性もあるのだ。
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