他著と同様に本書の著者の感性と言説に強く惹き付けられます。船井幸雄氏は副島隆彦氏との共著で現在の日本は戦争突入前の1930年代と相似だと指摘しましたが、それ以前に本著で辺見氏は
「時代と向き合う我々の目がどうも30年代に似ているのではないか。目が気だるい日常の内側に深く埋まってしまって視力を失い、他者のまなざしが持てなくなってしまった。その為に日常がいつの間にか孕んでしまった危機を見通すことができなくなってはいないか。そうした意味での危機感の無さ、実時間にあって変化を感得し感知することへの鈍さということにおいて、30年代と似ているのではないか」と述べており、正に炯眼です。
2002〜2004年に掲載された原稿から本書は成りますが、今でも色褪せていません。以下の著者の言葉に感じ入るものがあれば、ぜひご一読下さい。
・日本と朝鮮半島との歴史を考える時、各列強の植民地史の中でもその支配の徹底ぶり、文化、言語、人権の破壊規模は猛烈で特殊です。だからこそ、「負の史料」としてこれらを真剣に学ばない手はない。惨憺たる過去を正視し、しっかりと学ぶこと。それが実時間の「いま」のまやかしを見抜く糸口にもなる。
・内閣官房やマスメディアの合作により形成された公憤は、9・11やアフガン報復攻撃、イラクへの大掛かりな攻撃準備といった戦争モードの中で、この国の政治、思想、安全保障上の常識を一気に変える梃子に使われていきます。本来なら時間的に四半世紀はかかるだろうこの国の総反動化を、拉致問題を利用してたった1年ほどで達成したみたいなものです。
・米国は建国以来200回以上の対外出兵を繰り返し、数限りない他国の政権転覆工作に関わり、原爆投下を含むそれら歴史的軍事行動のどれについても国家的反省をしたことのない国で、米国こそが最大級の「ならずもの国家」なのです。しかしながら、人間とは錯覚の生き物なのですね。弱さよりも強さに理性を見てしまう。