「戦後日本人はアメリカに骨抜きにされ、平和・人権・反戦をうわごとのように唱え続けた結果、何が正義か見ることすら出来ぬ腰抜けとなった。価値を追い求める人間にとって、生命とは単に手段に過ぎず、生は死を意識してこそ輝くのに、それを忘却し、快楽と享楽に身を任せて堕落している」ま、ざっとこれが西部の日本人論である。無論誤りとは言わない。しかし、西部はあくまで国家主義的な抽象論で人を論ずるから、この堕落を修復する手段を、共同体の歴史と義に求めるという誤謬を犯すことになる。絶対平和主義が感情論であるのと同等に、西部の平衡美追及もまた感情的空論である。随分人をくだらないもののように言うが、庶民は西部が思っているほどくだらない人生を歩んでいるわけではない。「死を意識せよ」と西部は言うが、それを個人の理念として追及するのはその人の勝手であるが、国民全員がそうあらねばならないかのごとくに言うのは単なる誇大妄想である。それから、西部は日本文学を、失恋をうだうだ書くだけの軟弱なものというが、そんなことを言うのなら、「源氏物語」も夏目漱石も太宰治も、全て文学にあらずということになってしまう。これだけでも、西部が文学から縁遠い人間であることがわかる。