何度、本屋で手にとり、買うのをやめたことか。
むずかしそうという先入観と、全6巻(岩波文語)というボリュームを前に、読むことを断念しつづけ数年。
しかし、意を決して、えいっと読み始めてしまえば、すらすら読めて、意外に早く読み終える。
文章が平易なのと(きっと藤沼氏の翻訳がいいんだろうな)、何より時間を忘れるほどおもしろいからなのである。
いろんなところで登場人物が多いと言われているけれども、第2巻以降は慣れてくる。
メインの6人ぐらいを抑えていれば物語は自然と進んでゆく。
さてその内容。
『戦争と平和』というタイトル通り「戦争」と「平和」と、そして「歴史」からこの小説はできている。
まずは「戦争」。
さすが戦争を体験しているトルストイだけあって、実にリアルである。
文字だけなのに、ハリウッドの戦争映画をみているかのように、砲弾が行き交う戦場が目の前にみえてくる。
「目の前に迫る敵よりも、空の青さ、美しさが気になった」など、兵士一人一人の心境もとてもリアルである。
その戦場で人は殺し殺され傷ついて、まさに悲惨そのものであるのだけれども、「戦争は悲惨、だから反対」という一般論だけでは、
片付けていない。戦争には、男たちを突き動かすロマンや興奮がある。だから、人を殺すという狂気の沙汰もやってのけてしまうのだ。
次に「平和」。
これは主に「恋愛」である。戦争と戦争の間にある,愛の物語。これが本当に美しくて切ない。
『アンナ・カレーニナ』もそうだったが、純愛と女心を描くのが巧いよ、トルストイは。
そして、トルストイは幸福を描くのが巧いや。不幸を描くのはドストエフスキーの方が巧いけど。
最後に「歴史」。トルストイは何度も繰り返し、自分の歴史論を語る。うっとうしいぐらいに。
それは、ぼくたちが教科書で学んだ歴史とは180度違うもの。
「歴史の側からみずに、人間の側からみること。歴史論ではなく、生命論だと思って読むこと。
歴史とは抽象的な概念で、目で見たり、感じたり、自分で行為したりできる実体ではない。
実体として存在しているのは、私たちがこの瞬間に、ここで生きている生活だ。
その無数の実体が連続し、集積し、その結果が抽象されて、第三者や後世に読まれ、
またそこに解釈が施される。それがトルストイの歴史論イコール生命論。」
「歴史家は事件の結果を問題にし、芸術家は事件の事実そのものを問題にする。」
だから、芸術家トルストイは、徹底して名もなき個人の側からナポレオン戦争という事件を検証する。
個人の物語から、歴史の本質に切り込んでいく。
その本質に迫らんとする作者の気迫が、これをただの戦争ドラマ・恋愛ドラマに終わらせずに、
歴史的名著となっている理由ではなかろうか。
と内容を掘り下げていくと、とっつきにくそうだけれども、そんなことは決してなく。
その名作のたたずまいと、全6巻というボリュームの威圧感に負けず、まずは1巻の半分だけでも読んでみて。
読みやすいけど読み応えのある代物、ロシア版『坂の上の雲』といったところかな。
一生付き合っていく本のうちのひとつになることは間違いありません。