「我等、同じ船に乗り」と副題が示すように、
見事に作品の虜となってしまった。
数ある作品にコメントはできないが、一番衝撃を受けたものだけでも述べてみたい。
戦争の悲惨なことを述懐した作品は、胆を寒からしめる。
記憶はうそをつくはずであるから、誇大化する癖がある。
それでも、たとえば、吉村昭のような綿密な取材と独特の語り口で言われると、
昔の事実が今現実となる錯覚を覚えてしまう。
まして、体験者は年齢とともに、あのときの事実をどのように整理し、
人々に語ろうか、その熟成のときを待っているはずである。
それが堰を切ったように、口が開けば、私たちはその前に滂沱するしかない。
島尾ミホの作品「その夜」がそれである。
短編は一字一句、過分も不足もない著者そのものの魂だと思う。
受け止められるかそうでないかはそのときの体調にもよるし、
実際、こういった本は出会いだと思う。
島尾ミホには、おそらく本人だけにしか照射されていない時空があったと思う。
「隊長さま」一念、遠い距離の中、雷光を突き抜けるように疾走していく姿は劇的である。
これを愛といってしまうには、現代の社会では軽薄のようにすら感じる。
彼女がいとおしい。
純粋さが半端ではない。
戦争のお話になると、女性は大抵変わるものである。
このお話はまったくの一人の乙女の祈りであり、駆り立てる焦燥であり、疾走である。
こういう人は作品の中だけにしか見かけたことがないが、島尾ミホ本人が
その当の作品の人であり、こういうお話を持って語られると、やるせないというか、
なんとも、ひたすら純粋さに心打たれ、泣いてしまうのである。
男が泣くのはこういう女性ではないのかと考えてしまうほど、
彼女(「その夜」の本人)は強烈に光っている。
本を投げ捨てて、こういう人に会いに行きたくなってしまうのである。
著者本人の疾走と私の同じような気持ちが相まって、
どこまでもその気持ちの渦が消化できぬまま燃え尽きることもできない、
浮遊と成り果てる。
戦争は狂気も生むが、純粋さも増すのではないだろうか。
同じ船に乗るとは、正直つらいときもある。
その「隊長さま」の島尾敏雄の作品も収録されているのであるから、
まさにエンドレスの航海である。
江戸川乱歩の「芋虫」。
正直やりすぎの感もあるが、
見事な恐怖ではある。
しかし、怖いというのはどういう恐怖なのか?
それは作者がアタマで作ったのだから、船から降りればすむだろう。
本を閉じれば下船できる船もあるが、
錯覚を覚える作品もあり、侮りがたい。