ユダヤ教哲学者ブーバーの代表作。
抽象的かつ詩的な文体なので、なんとなくわかったつもりにはなるが、
腑に落ちた感覚まではなかなか得られない書物である。
翻訳としてはみすず書房版ブーバー著作集のほうがすぐれていると思うが、
値段、入手しやすさから、とりあえずブーバーを読んでみたいという方には
この岩波文庫版がお手軽であろう。
「根源語Urwortが語られることによって、存在の存立が引き起こされる」
僕自身は、このブーバーのテーゼに当初あまり納得がいかなかった。
言葉を発する以前から僕はちゃんと存在してるでしょ、と僕は思っていた。
しかし「僕が存在しているかどうか」と「僕は存在していると言えるかどうか」
とは、似ているようで決定的に違う問いであると最近気がついた。
「僕が存在しているかどうか」という問題は、他の人にどういわれようと、
僕ひとりだけが正解を決められる種類の問題である。たとえば、他の人から、
「君は存在していない」と言われたら、激しく納得がいかない(笑)!!
一方、「僕は存在していると言えるかどうか」という問題は、僕一人ではなく、
他の人にとっても意味をもって考えることのできる問いになっている。
そう考えることがそれほど的外れでないならば、
「”議論可能な”という意味での僕の存在が、言語によって初めて扱えるようになる」
つまり、言葉が存在を創造するということをブーバーは言っていたのかもしれない。
ならば、この小著全体が旧約聖書創世記冒頭の注釈になっているとも言えるだろう。
対人関係論として大きな注目をあびるブーバーだが、その根底には、
自己と他者をめぐるユダヤ的存在論があることを忘れてはならない。