高橋和巳は、絶頂期に鎌倉で胃がんでなくなったのですが,奥さまが追悼の文章を書いていて悲しみであふれています。その文章のなかにこの作品への言及もあります。わたしは,この著作は,父親の本棚からこっそり取り出して,がっくりしていた浪人時代に読みました。もう浪人はだめだぞ勉強しろよとかやかましくいわれていたのに,予備校でこれをこそこそ読んでいました。通信添削でよく名前をみていたK君も同じ年に理3に合格したので本郷で初対面で待ち合わせて話をしたときK君も高橋和巳を読んでいたので驚いたことを思い出します。高橋和巳は大阪の小さな町工場の家にうまれて(つまりプロレタリアート)、吉川幸次郎のもとで中国文学を学んで、たしか中国にも渡航しているはずで,それらしい書き物が河出の大きい黄土色の全集のほうに入っています。硬質というかぎこちない文章で,ちょうどドイツ写実派の絵のように実に細部まで書こうとするので兆大な文字数になり,だから,一般受けするとはとてもおもえません。ただし一字一句を吟味していくとまったく手抜きのない文章で,全体として壮大な物語を構築する様子がわかるはずです。完全な解剖学の教科書のようなものともいえます。
高橋和巳はルーズな男女関係を一方で蔑視しながらも同時に環境というか上部構造と下部構造のギャップ(閑話休題―偉そうに書いていますがほんとはよくわかっていません)というか,第三者的桎梏の合間に見え隠れする価値基準といいうか,そういう次元の切れ目から生じる軋轢のようなものというか,そういうものを描こうとしていると思います。男女の交わり(性器接合)をはっきり認定して進みます。やつらはできていたのかなみたいには書かない作家で,こういうところは私のような実験データをまず持ってきて考えるタイプには合っているし,こんなにはっきり人間関係を断定的に設定して書いていく作家は珍しいのではないでしょうか。陰翳礼讃的なあいまいさはまったくなしにしようとした文体といえるのでは?大岡昇平はあれほど写実的に書くのに男女関係だけはその場を書かないですよね。これらは伊藤整の海鳴仙吉や石川達三の青春の蹉跌でもはっきり表れている筆者と同じ世代の日本の若者の表象心裡ではなかったのかと思われますが,わたしは読書範囲も限られた理系人間ですのであまりはっきりとはいえません。なおマルクス主義および当時の毛沢東思想などの影響との関係についてもいろんなことが書かれていますが,正直いって,作品だけからはあまり関係ないかなと思います。たしかに主人公は資本論的な用語を使っていたり,労働者なのに相当なインテリでしかも大変な知識をもっていますが,これは作者の意図的な創作ですし,造反有理というのもよくわかりませんし。
私自身は,本書の描く組合内部の力学のようなものはもうひとつわからないままに読んでいます。そうなのかなあという感じだけです。巻末の評者によれば,階級闘争というのかな,高橋和巳の町工場出身という「出自」が影響しているとのことですが,文学というのはそういうものなのかな?という感じです。わたしの所属する組織は,経営の観点からも最先端の診療と研究の観点からも,できる限り単純化したものになっていますし,ある意味では才能勝負という側面が強いし,この小説のように,地位の高い男の娘だから彼女が優遇されるというわけでもないし,望むなら外国でポストも得ることができます。
素人ですが,この小説は,日常の作為的構造体のようなものから大きく飛翔しているのではないでしょうか。救いのない結末のようにみえて実は大きな空間で自己を生かすのはこうだと語っているのでは?だからこそ,ごく普通の体験しかないわたしたちもそれなりの解釈で読んでいいのではないでしょうか?
「白く塗りたる墓」もお勧めします。