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成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)
 
 

成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫) [文庫]

江藤 淳 , 上野 千鶴子
5つ星のうち 4.3  レビューをすべて見る (3件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

メタローグ

戦後最大の文芸評論家だった江藤淳(1932―99)の批評作品は秀作の森である。安岡章太郎、小島信夫ら第三の新人の作品を爼上に乗せながら、戦後社会の精神風土の変質を解き明かす本書は、その秀作群の一つに過ぎないが、「母」と「子」さらに「妻」という著者の宿命的テーマを掘りあてている点で特筆される。幼いころ母を失った著者の目は、母と子が暗黙の合意の元に精神的な密通をはかっていた前近代日本の幼児性を見破りつつ、母が「女」となる戦後社会で、楽園から追放される男たちの戸惑いを精緻に描き出していく。江藤氏にとって妻の死は、遅れてやってきた“母”の崩壊であったのだろうか。(宮川匡司)
『ことし読む本いち押しガイド2000』 Copyright© メタローグ. All rights reserved.

出版社/著者からの内容紹介

「成熟」するとは、喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの「悪」をひきうけることである(本文より)「海辺の光景」「抱擁家族」「沈黙」「星と月は天の穴」「夕べの雲」など戦後日本の小説をとおし、母と子のかかわりを分析。母子密着の日本型文化の中では“母”の崩壊なしに「成熟」はありえないと論じ、真の近代思想と日本社会の近代化の実相のずれを指摘した先駆的評論。


登録情報

  • 文庫: 302ページ
  • 出版社: 講談社 (1993/10/4)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4061962434
  • ISBN-13: 978-4061962439
  • 発売日: 1993/10/4
  • 商品の寸法: 15 x 10.6 x 1.4 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.3  レビューをすべて見る (3件のカスタマーレビュー)
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形式:文庫
戦後に生きる私たちが、「国家」「歴史」「社会」を語ろうとするとき、私たちの言説のすべては未だ40年前の本書の射程を一歩でも踏み出していないのはないか。そんな風な感情を呼び起こす、魅力に溢れた文芸批評、戦後批評、歴史批評、である。

 近代化社会との遭遇によって、私たち日本人は自分たちを取り囲んでいた固有の「自然性」(母)は崩壊した。またそれと同時に、敗戦により、近代化された社会に必要不可欠な治者(父)も不在の状態になった。つまり、前近代的なドメスティックな「日本情緒」の中に生きることもできず、かといって徹底した近代人として生きていといく選択肢も、困難である。では、私たちはそのような戦後とどのように向き合えばよいのか。

 ・・・ひどく簡単にまとめると、本書の批評はこのように展開する。これらの分析が、現在も思想的有効性を有していることは当然だが、著者のどんな困難であっても今自分の目のまえを流れている「同時代という戦後史」になんとか対峙していこうという胆力に私はただただ圧倒される。

 「「成熟」するとはなにかを獲得することではなくて、喪失を確認することだからである。だから実は母と息子の肉感的な結びつきに頼っているものに「成熟」がないように、母に拒まれた心の傷を「母なし子牛」に託して歌う孤独なカウボーイにも「成熟」はない。拒否された傷に託して抒情する者には「成熟」などはない。抒情は純潔を守りたい気持ちから、死ぬために大草原を行く「母なし子牛」の群れにその子牛のやさしい瞳とやわらかな毛並みに自分の投影を診ようとするナルシズムが生まれるからである。」(P32)
 「さらにわれわれはどこかに「ウソ」を感じながら新しい異邦人である「父」の強制する世界をうけいれ、どこかにかすかな痛みを覚えながら「母」を、つまりわれわれが慣れ親しんできた生活の価値を否定した。われわれがこのような「裏切り」をおかしていることはどんな心理操作によってみ消えはしない。」(P176)

 ここには存在しない「過去の日本」をなんのあてもなく夢みることも、アメリカにより与えられた近代を「8月革命」としてさも自分たちの所与のものであるかのように思い込むことも江藤は決して許さない。それらは、等しく今ここにある「戦後」から目をそむけ、自分語りを国家に対して反映させているだけの、ナルシズムに過ぎないからだ。

 「「父」に権威を付与するものはすでに存在せず、人はあたかも「父」であるかのように生きるほかないのかもしれない。彼は露出された孤独な「個人」であるにすぎず、その前から実在は遠ざかり、「他者」と共有される沈黙の言葉の体系は崩壊しつくしているのかもしれない。彼はいつも自分ひとりは立っていることに、あるいはどこにも自分を保護してくれる「母」が存在し得ないことに怯え続けなければならないのかもしれない。だが、近代のもたらしたこの状態をわれわれがはっきりと見定めることができ、「個人」であることを余儀なくされている自分の状態を直視できるようになったとき、あるいはわれわれははじめて「小説」というものを書かざるを得なくなるのかも知れない。(P250)

 最終部で結論として示されるこの文章はそれでの明晰な文体とは一線を画し、「知れない」という迷いが留保されている。しかし、だからこそ輝きを放っている。
 第二の父(アメリカ)に帰依するのでもなく、不在のあるべき父(日本)を待望するのでもなく、【あたかもあるかのような仮構の父】を思い描くことで、「父」の不在に耐えるしかないのではないか。母が崩壊し前近代的日本の自然や情緒の中で生き得ない私たちが成熟するためには、人工的な環境の中で生きながら枯死しないためには、ここからしか血路は開かれないのではないか。私は、この文章から江藤のこんな煩悶を確かに聞いた。
 
 本書の解説で上野千鶴子が指摘したり、『アメリカの影』で加藤典洋が指摘するように、1967年のこの江藤の認識は、その後さらに加速する高度経済成長に耐えられなかったのかもしれない。
 だが、<仮構の父>を懸命に思い描くことで、懸命に戦後史という「今、ここ」にとどまり続け、ありはしない父と<一体化>するのを避けようとした、江藤の歴史意識に私はとても強く惹かれる。歴史観や国家観などというものを私たちが語ろうとすれば、それはどんな時代でも、今ここを流れている歴史との対話することで軋みをあげた自らの軋みを記述することから始めるしかないのだ。
 私はそういう、「世界観」ならぬ「世界意識」というものを江藤淳から教わった。
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noli me tangere 2008/3/21
形式:文庫
  イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい」(ヨハネ20:17)

 死を前に、神の国を前に、すがりつく女、マグダラのマリアをイエスが振り払うこの
シーンがすべてを象徴するかのよう。

 成熟とは、「近代」へと「自由」へと飛び出すこと、「母」を喪失すること、その喪失に
よって「母」を傷つけた罪を引き受けること。
「近代」において特徴的なこととは、例えば家や集落に代表されるかけがえのなさを振り
払い、例えばコンビニに象徴される匿名性、入れ替え可能性へと移行することに他ならない。
 この移行に当たっても、「父」はなんら問題とはならない。なぜなら、家から社会へ、
「私」より「公」へ、というより大きなパターナリズムへと委ねられるに過ぎないから。
 しかし、「母」についてはさにあらず。親族構造における交換に基づく接続記号として
存在を許されていた「母」は、その家が放棄されれば、必然的に死を迎える他ない。まさに
「女は存在しない」。
「母」の庇護を離れて独立する――「自由」とは苦しいもの、それゆえ「自由」を前にして
人はしばしば逃走を選ぶ。いわゆる団塊の世代がその自由を前にしながら、あるいは前に
するがゆえに、かえって異様なまでに保守的な家庭制度や道徳を好むのはまさにその実践。

 戦後の小説から「成熟と喪失」を説く江藤の議論は極めてよく練られたもの(というよりも、
単に小島信夫の小説があまりによくできているだけな気もする)。
 しかし、これを近代を迎える日本に特有の現象と位置づけ、読み解いてしまうのは完全なる
ミスリーディングと言わざるを得ない。この主題は、世界中のほぼすべてのパターナリズムを
基調とする文化体系において、「近代」への移行が構造からして必然的にはらまざるを得ない
問題であって、日本とてその一例に過ぎない。事実、日本固有の「母」をめぐる江藤の特徴
づけはいかにも弱い。

 そして蛇足ながらもう一点、遠藤周作をめぐる「父」と「母」にも誤解があるようだ。
「神よ、神よ、なぜにわれ見捨て給うか」。
 神はすべて人間を前にしては「無力な神」、踏み絵を甘んじて受ける神として現れる
他ない。
 その結果として、人間は「神の国」を断念して、「この世」へと引き返すよう強いられる。
それはすなわち女の存在する世界、「母」への帰還。
「神の前で、神と共に、神なしに生きる」。
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14 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
形式:文庫
母の喪失は成熟のあかし、
アメリカ西部開拓時代からのフロンティアスピリットから
文学を、社会を縦に切る構図はわかりやすい。
独創的な評論でおもしろく読めた。
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