ジョニー大倉氏の「キャロル-夜明け前」が出版された事で久々に本書を読み返してみた。大倉氏の中身にはあえて立ち入らない・・・。誰でも他者のアドバイス無しに成長はできない。従って矢沢永吉も例外ではないだろうし、彼独特のマイクスタンドパフォーマンスもロッド・スチュワートらの影響を受けている可能性はある。しかし、彼の軌跡を見れば、存在感、楽曲、歌唱術、ステージパフォームはどう考えても矢沢永吉という類まれな資質なくして成立しなかった事は明白だ。本書に描かれる幼少時からの過酷な人生同様に、血の滲むような努力の末に「矢沢永吉」は「矢沢永吉」としか形容できない唯一無二の存在となったはずだ。その個性は本書に燦然と表れている。しかし、以前本人も公言していたが、本書の存在と彼の特異な個性は「ミュージシャン」としての本来の姿への興味を大衆から失わせる諸刃の刃になった事が否定できない。彼はロックもいいが、特に80年代前半までのミディアム・スローナンバーが本当に美しい。簡潔でタイトでクールで、メジャーコードのバラードはほのかな甘さをもち、彼の音楽に対する鋭敏な感受性が輝く名曲は数え切れない。好悪は別として、マイクを振り、情熱的に歌い踊るあのスタイルは彼以外に絶対成立しない。他のミュージシャンが真似をすればきっと滑稽な姿をさらすだけだ。たぶん、あの個性とは裏腹に矢沢本人の性格は、”素直ないい人”なのだと思う。でなければ、敵の増加や孤立を計算し外面をもっと繕うはずだし、何度にも渡るスタッフの裏切りに遭う事もなかったろう。そして、初婚の奥様との離婚に対しては本書の美談は虚偽だと、多くの誹謗中傷を受けたらしい。でも、僕は思う。”誰にだってある心変わりに過ぎないじゃないか。矢沢永吉だってただの人間なんだから”。その思いは本書のラストに象徴的に浮かび上がる。ライブで歌う瞬間を語る矢沢。「客席はほんの数列しか見えてない。10本のスポットが当たってるからその先は、真っ暗なんだ・・・」誰の人生も同じように先は見えない。それでも矢沢永吉は疾走する。当年60歳を迎える彼のますますの活躍を祈って止まない。