著者は多くの分かりやすい司法関係の入門書や解説書を書いており、その道を志す人などにはカリスマとまで呼ばれる人だ。私も門戸外でそう詳しくないとは言え、一度刑法などに興味を持った際、著者の入門書に触れその説明の分かりやすさ、質の高さに感動した経験があり、大変重宝した。その点で一つ敬意。また著者は少数派や弱者を守るといった正義、人権、理念に深くコミットしており、時おり見せるその理想主義的で優しい価値観や人柄にも、これだけ賢く優秀な人がこれだけ理想を語ってくれる側にいるというのは何か頼もしい事だとも感じていた。その点でも敬意。そして本書も上記のような特徴と同じく、分かりやすく憲法の基本や常識、必要な論点が語られており、そういった点では良い本だと思う。
「おわりに」によれば著者が本書を書いた二つの動機は憲法の常識や重みすら無視して極めて安易に語られる改憲、憲法があまりに軽んじられている状況や言説に対する「怒り」であったという。一連の改憲への流れは著者によれば明らかな憲法・民主主義・国民への冒とくであったという。前半部分の100頁は恐らくこの動機で書かれているのだろう。そしてもう一つの動機は「如何なる理由があっても戦争という名のサツ人に加担したくない」という著者の平和主義的な思いである。これが後半に強く現れていると言えるだろう。そのため後半では9条と平和主義は前半の人権のように「解説」されるというよりもかなり積極的に擁護されている。9条への反対意見を片っ端から取り上げ徹底的に反論していくという形を見ても前半とは少し力の入り方や姿勢が違って見えた。いわば後半は平和主義者としての「積極的な全力の9条擁護」となっている。
9条と人権ではその正当性の自明性が違うと少なくとも私個人は考えている。右派にも人権自体に批判的な人は少なくないとは言え、改憲の主要な目的は9条の改善や廃止である事が多く思う。憲法の謳う人権の理念に反対する人は絶対平和主義的な9条に反対する人より少ないとすれば本書の前半部分に強く反発する人もそういないかもしれない。例えば私はそうだ。しかし後半はどうだろうか。
9条に関しての著者の主な見解は「軍隊は信用ならない」「軍隊は国民を守らない」「軍隊は暴走する」「軍隊を文民統制するのは無理」「軍隊があっても攻められる」…といった具合の根拠で9条を擁護し軍隊の有害性を主張するものに見えた。護憲派や理想主義者はしばしば能天気な性善論者という印象も持たれるがこのような著者の人間観(軍隊観)は多分に性悪説的と感じたのだがどうだろうか。過去に軍隊が国民を守らず、むしろ犠牲にした事があった。なので一切の軍隊は持ってはいけない、一切の軍隊は信用できない。というのは飛躍であると同時に人間に対する悲観と諦観に満ちている気がする。極端な平和主義を志向する点では著者はどこまでも理想主義者だが本当に国民だけを守る必要な軍隊を作ろう、それだけを持とう、そのため努力しよう、それは可能なはずだ、といった種類の理想はまったく欠いている。著者は初めからそういう軍隊はありえない。だから持たない方がいいと言うのだ。だがこれは本当に国民を守るために軍人をやっている人にも、軍隊を持っている国にも失礼ではないのか。著者の言うように軍隊は全てが絶対に国民の生命を守る事を目的にするものではなく、むしろ本質的に国民を犠牲にするものでありそして必然的に暴走し、必然的に侵略戦争を行い(著者はいくら侵略戦争はしないと明記しようが侵略戦争は起こるとも言っている)文民統制しようと思ってもそれが絶対に不可能(不可能だと著者は断じている)ならば軍隊を持っている多くの国はどんな国であれ、著者からすれば悪と断罪する必要があるはずではないか。だが本当にそれでいいのか。
軍隊があっても攻められるというのは、著者の主張の中でも最も反発を受けそうな隙間だらけの暴論に思われる。(無論とにかく重武装してとにかく脅して威嚇してれば平和が得られるに違いないという極端な考えを支持するわけではない。だが極端を廃するべきなのは、逆も然りではないか)何を言っても軍隊を一切持たないという結論には飛躍せねば繋がらない根拠ばかりだ。著者の正義感自体は買う。9条以外に関しての憲法擁護にも大方共鳴できる。だが著者に限らず9条に関しては護憲派、左派は圧倒的に理がないと思っている。それを覆す人がいないものかと護憲派の色々な著書をあたったが、どれほど賢い人でも9条擁護となると無茶や飛躍を言っている。本書も例外ではなかったと思う。