横山大観の作品「生々流転」を彷彿させる大作である。
父親と息子という関係が主題であるが、そこに絡まる人間模様も丁寧に書き込まれている。
現代の日本文学の巨匠として、現在進行形で展開している本書は紛れもなく、
一時代を代表する名著と位置づけられるだろう。
本書はその第六部であり、経済成長の著しい昭和日本で、その怒濤の勢いの中、
優しくささやかな幸福の雨に漂流する一家の肖像を描いている。
経済的に落ちぶれた父の不器用な踏ん張りを、病魔がひっそりと狙っている予兆もある。
繊細だが実は図太い妻、思春期を目前にした不肖の息子、
きっとそこにもドラマがあるはずの友人や同僚達との関係に滲み出る愛が、
憎悪や利害といった事象を超えてこの父を支えきれるかどうか。
少なくとも、一方が幸せになれるかというテーマではない。
気付かない内に幸せが通過していき周囲が一面に染色されるような情景詩である。
著者の愛読者なら承知と思うが、いままでの作品群から、
一部の印象的な背景などが切り取られたかのように、意図的に時折織り込まれている。
著者の人間観の集成として、その力量の凄さを率直に感じる作品である。
横山大観は「生成流転」を関東大震災の中、お披露目させた。
本著者は今回の震災の中、何を感じ、どのような形で昇華させていくのか。
著者の年齢や基礎疾患などを鑑みると、雨に佇んでいる時間はさほどないはずだ。
これだけの大作、未完になることだけは避けて欲しい。
もはや、これは著者の義務である。