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15 人中、11人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
法は誰を守るのか?,
By 魔法使いの弟子 "魔法使いの弟子" (東京都港区) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 感情と法―現代アメリカ社会の政治的リベラリズム (単行本)
この本は、たぶん、いろいろな読み方ができる。アメリカの裁判において陪審員が示すさまざまな感情のあり方についても紹介されているから、それこそ、昨年、日本で導入された裁判員制度を考える際に参考になるケースも多々ある。でも、私が本書で注目したのは、むしろ、私たちがよりよい社会や法のあり方を考えていく際に、「よりよい」基準をどのように設定するのか、「よりよい」道徳原理をどのように構想すべきか、という点である。 「正常で完全無欠な自活する市民」、これは、言ってみれば、「世間一般」「普通の人」「常識人」とでも言い換えられるような人々である。たぶん、世間一般の視点からすれば、私も、特に犯罪は犯していないし、一応、定職についているので、「普通の人」「常識人」と言われるだろう。で、無意識にも、私は「普通の人」「常識人」だから、政治について考えるときも、事件を見たときの反応も、おそらく、そのような視点から、つまり、「普通の人」「常識人」の範疇の視点から見る。ひどい事件が起これば、特に残酷な事件が起これば、被害者に無意識に肩入れするし、被害者の側に立って、加害者に対して、激しい憎悪を抱いたりもする。政府に対しても、そのふがいなさを居酒屋で糾弾したりもしている。それで、こういう人々が世の中の多数を占めている、と思い(込んで)、自分が正しい、正義だ、悪に鉄槌を、なんて(意識的にも/無意識にも)思ったりもしている。たぶん。 でも、よく考えてみると、「普通の人」「常識人」、本書で言えば、「正常な人」なんてものは、実際にはどこにも存在しない。自分を自分で「正常」と言いきれる人などいるだろうか。「正常」と「異常」の境はどこにあると言えるのか。これはとても難しい問題である。 ところが、いま現在の私たちの社会の法は、「普通の人」「常識人」、本書で言えば、「正常な人」の「正常」な感覚や感情に基づいて構想されている、そうヌスバウムは言う。とすると、そのような「正常な人」の感覚や感情では測りきれない感覚や感情は、「異常」と判断され、「何こいつ、人を3人も殺したの? わけわかんねぇ殺人鬼じゃん。そんな奴、生きてる資格ねぇよ、死刑だよ、死刑!」みたいなYahoo コメントとか2ちゃんみたいな感覚や感情が法の場に持ち込まれかねない。陪審員制度や裁判員制度が悪いとはまったく思わないが、市民がもつ日常感覚や常識を裁判に活かすことを目的に導入されたこれら制度の意味をあらためて市民個々人が考える必要はあるだろう。 いわゆる、「正常な人」(と想定される人、そんな人はいないが、マジョリティか)の感覚や感情だけを持ち込むと、制度は誤った方向に導かれる可能性も孕んでいる。つまりは、「普通の人」「常識人」、本書で言えば、「正常な人」の感覚や感情で、自分たちには理解できない人々を「異常」とレッテル貼りをして排他すれば、それらの人々を、「私たちの社会」や「私たちの法」の「外」に置きかねないのだ。 私は犯罪者を擁護しているのでは決してない。犯罪者は、私たちの法のもとできちんと罪を償うべきである。ただし、こいつは気味が悪い、理解できない、嫌悪感を催す、そういった感情によって、「異常」とラベリングして、こんな危険な奴は塀の中に閉じ込めておけ、殺してしまえ、といった考えには、たとえば、同性愛者や障害者などのマイノリティ、それ以外にも自分たちが「普通」と思っている(思い込んでいる)感情からは理解できない他者を、露骨に排除してしまう陥穽があることも認識しなければならない。 法は誰を守るべきなのか。法は何を守るべきなのか。 私たちの社会をよりよいものにするには、私たちの法をどのように構想すべきなのか。そのようなことをじっくりと考えさせる良書である。
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