本書の有害/無害の論争ははっきりって無意味。
文化だ!論も意味なし。
問題は分煙をこえて「撲滅」を謳うモードに入っている
禁煙の潮流がまぎれもなく健康ファシズムであることを
冷静に感得できる感性があるかどうかにつきる点を
あまりほりさげてない。
結果的に健康=論理=原理至上主義の陥穽を指摘しきれ
ていません。
のめば必ず死ぬような青酸カリや、触れれば高い確率で
発病する病原菌なら話は別だが、煙草が身体に影響ある
かないかは実はどうでもいいこと。
有無が論争になる位だから、そこそこそれなりに身体に
影響はあるんでしょう。
しかし、そんなのは、酒とおなじで過ぎれば身体に悪い
し、影響の程は人によって大きく違うにきまってる。
90歳で煙草吸ってピンピンしている爺さんもいる。
要は健康至上主義者でないかぎり、適当にバランスを
とりながら「不摂生」を楽しめばいいだけの話。
その適当な不摂生(悪)こそが、文化であり、嗜好品と
よばれるものだったはずです。
だからそれはオトナにしか許されていなかった。
未成年が煙草吸っててムカつくのは、キミたちの健康に
悪いと思うからでなく、自重してバランスとれないのに
オトナの特権に生意気にも手をだしてくるからです。
決して健康が至上だからではないですよ。
だから煙草を含めた嗜好品はオトナの象徴として
カッコいいんですよ。
分煙を越えた殲滅論者は、要は無根拠なことについて
バランスをとりつつ対処するという現実的な身体感覚
をもたないもの、物事を一色に塗り固めたいコドモの
感性なんだとおもう。ナチもそうです。
本書もあまりそこを掘り下げてはいない。
毎年阪神大震災の犠牲者数以上の死者をコンスタントに
生み出す交通システムは、煙草より明確に直接的な死因が
わかっているわけです(何と100%ですよ!)。
禁煙ファシスト達は、交通システムをまず殲滅せよとは
いわないでしょう。その理由は実は本質的だと思えます。
臭いや煙として具体的なイメージとして直接的に自分に
ふりかかってくるから。
直接的なイメージへの「不寛容」のハードルは病的に高く
なってる気がする。知的な潔癖さほど気味の悪いものはない。