中国愛国主義の起源を梁啓超の言説活動を基点として、綿密かつ多面的に論じる。
はじめに−梁啓超のアメリカ紀行
第一章 愛国主義の歴史的位相
第二章 同胞のために団結する−反アメリカ運動(一九〇五年)
第三章 中国の一体性を追求する−地図と歴史叙述
第四章 辮髪を刈る−尚武と文明への志向
第五章 愛国ゆえに死す−政治運動における死とその追悼
終章 愛国主義の論じ方
はじめに1904年梁啓超によって書かれた『新大陸遊記』と名付けられたアメリカ紀行文の紹介が行われる。ボストン茶会事件とアヘン戦争との対比、原住民の経験した苛烈な破壊を眼前にした中国の前途への憂慮、そして独立戦争での戦死者追悼碑への強い感銘が記されている。この中国の亡国に対する強烈な危機感を生々しく伝える文章は、中国愛国主義の起源を探る本著のプロローグとしては実に相応しいといえよう。
第一章は前近代国家「大清」における、多民族、多文化を包摂する多層的な統治体制が述べられる。また中国の愛国主義の発生期は、1895年の康有為らの挙人が日清戦争後の台湾割譲・賠償金支払いなどを定めた下関条約への抗議活動にあると論じられる。
また中国の華夷論、人種論などが論じられるが、これに関してはその後の時代を画すこととなる思想的事件として、1898年に刊行されたトマス・ハクスリーの『進化と倫理』を厳復が注付きで翻訳した『天演論』が紹介される。これが中国社会に進歩思想を植え付け、文明と野蛮という二元的構図が確立された。なによりこれは人種に関する言説であり、それゆえ人種毎の優劣を論じる人種主義に他ならなかった。
第二章においてはアメリカにおける「排華移民法」にたいする1905年に起きた大規模な米貨排斥の運動に焦点が当てられる。これは外国で虐げられている同胞に対する強烈なシンパシー、そして華人としての「アイデンティティ」が形成される契機であった。またこれは新聞、雑誌などの近代出版業、電信などの近代通信網、そして全国各地の同郷集団を束ねる会館、公館を抱える都市文化があってこその歴史的出来事であった。
続く第三章においては、世界の中の「中国」を認識可能とするための近代的地図の重要性、梁啓超に代表される歴史編纂の活動などが論じられる、王朝の正統に関する「史学」ではなく中国という実体に基づいた「新史学」が提唱されたのである。同時に「紀元」の問題も触れられ、政治的派閥よって黄帝紀元、孔子紀元などの確立が試みられたことが論じられる。近代国家にとって自らのナショナルヒストリーを確立することは常に決定的な問題であるが(日本の「国民の歴史」を巡る論争をみても)、その国家、国民の起源の集合的想像を可能とする「紀元」の問題もまた重要なイシューを構成していた。
また第四章の辮髪をめぐる論考も興味深い。辮髪が尚武の精神を必要とする近代国民像から批判され、西欧人の文明観を内面化した視点から中国の「野蛮性」の象徴とされ、また「夷」民族である満州清朝政府打倒の革命の象徴ともされた。ここで特筆されるべきなのは、極めて近代的な言説である文明/野蛮の社会ダーウィニズム的二元論の中国伝統華夷観との見事な結びつきである。
第五章は、清末にける死生観の「革命」である。個人的な「死」が大きな政治的、社会的、文化的意義をもった営為として看做されるようになった。ここで重要になってくるのが死者の顕彰、追悼のための集団的行為、つまり「儀式」である。中国においてよく認められる悲憤感慨からの死であるが、集団的儀式を通じて「国のための死」として「国民的英雄」として祭り上げられる。「死」への強烈なロマンチシズム・ヒロイズムが国家的枠組みにおいて形成されたのである。
このような「政治的に意味づけられた死」をめぐる実践様式は、中華民国の建国とともに体制下する道をたどることになる。革命烈士、愛国烈士の誕生である。このような「死の政治化」の現象の背後には日露戦争後の靖国神社における大典への宋教仁のうけた強い感銘、入営兵の掲げる「祈戦旗」をみた梁啓超の仰天があったということも重要な指摘である。
以上が(評者によりかなり恣意的に取捨選択された)極めて大まかな内容である。個人的には、政変時における譚嗣同の刑死を、梁啓超が自らの政治的意図のために「利用」したという指摘は、政治の生々しさ特に死者のまた死者に対する「記憶」の営為への考察を含んでいる点が興味を沸かせた。この点は「集合的記憶」に連関して別個でもう一歩踏み込んで研究されるべきか。