全編を通して凝縮された美しさが深く重い悲しみに静かに融合し、激しく狂おしく、時には幻想的な戦闘シーンでさえも過ぎ去ってみると静謐な一枚の絵の中に納まっている。散文でありながら漢詩の叙情性を思い起こさせる...この作品に魅せられ、英訳、井川一久訳、大川均訳を読むこととなりました。仕事でホーチミンのタンソンニャット空港に降り立つといつも、あの場面はどのターミナルで起きたのだろうかと心をめぐらしてしまいます。
この作品の本質と特徴は、井川訳の解説に掲載されている著者バオ・ニンの言葉に凝縮されています。
「戦争文学にも、ある種のヴェトナム的特色はありました。敵となった個々の男女を決して憎まないということ、敵味方の死者に涙を惜しまないということ、また戦場の片隅に咲く風蘭の花にも愁いを感ずるというようなこと...私は戦争がむき出しにした人間本来の悲劇性を描いたつもりです。戦時の恋愛の悲劇性を含めてね。これが主なモチーフです。戦争はしばしば人間の生き方ばかりか性向まで変えてしまう。だから主人公のキエンと恋人のフォンは、戦後もずっと愛し合っていながら分かれなければならない...この小説のプロットはフィクションですが、個々の場面はすべて事実か、または事実を別の事実とミックスして変形したものです。主人公のキエンは、半分だけ私の分身です。彼の永遠の恋人フォンも、戦時のハノイに実在した女性たち、特に女子学生たちのイメージを重ね合わせて造型したものです。ある知人は、フォンは一昔前の日本女性のあるタイプに似ているといいます。本当だと嬉しいですね。日本は百年前から、私たちヴェトナム人の夢の目標でした。」
井川訳と大川訳との間で正当性が議論されたことがありましたが、単純に読み手の視点から見ると両訳とも美しく甲乙はつけがたいと思います。あえて言うと井川訳の方がより叙述的であり戦闘シーンはよりリアルに響きます。これは訳者である井川氏ご本人が朝日新聞の記者として自ら戦闘の現場に長い年月身を置いたことによるものでしょう。背景情報も傍注の形でより詳しく説明されているため、基本的史実を知らない読者にとっては大きな一助になると思います。ただ、本作品全編を貫く詩的な美しさという点から見ると、井川訳でも大川訳でもなく、英訳が頭ひとつ抜き出ているというのが読後の印象です。この感動的な作品をいつの日か原文で読んでみたいものです。