夫婦の愛の物語である。だがそれは過去へさかのぼり、夫が独りで妻への、そして
妻からの愛を確認してゆく物語だ。
オランダへ旅行中の妻が突然死した。現実も未来も主人公・仁科を置いて
遠ざかっていく。定年後に二人で合奏しようと約束していた「愛の挨拶」。妻が
ヴァイオリン、仁科がピアノを弾いて楽しむはずだったのに……。
そのために通い始めた大人のピアノ教室が、はからずも仁科をかろうじて
支える役割を担う。
積極的にとまではいかないまでも、レッスンに通ううちに、こじんまりとした
クラスの人たちとの淡い交流が始まる。皆、それなりのわけがあっての教室通いだ。
そして、そのわけの裏には屈託がある。それぞれが煩雑な現実を生きる大人なのだ。
そして、ビルマ人の少女ザベーとの偶然の出会いとその後の関わりによって、
仁科はもちろんのこと、クラスの仲間が少しずつ変わり始める。
ビルマからの難民の現状を知るにいたって、自らを振り返らずにはいられなく
なるのだ。
それでもぐずぐずと、妻の死の状況に、どうしても拭いきれない感情をかぶせてしまい、
独りになると荒れる仁科が物語に翳りをつけ、さすが本岡類さんらしいひっぱりかたを
する。
わきあがる妻への思いに、読む私もふと心を揺さぶられていることに気づく。
愛の証はちゃんと残されていた。ラストシーンは美しい。