倉田百三の代表作である。
レビューが一つもないのに驚いた。
本書の解説では、旧制第一高等学校の学生が、もっとも愛読した書物で第一位になったとある。
しかし今では、『出家とその弟子』に比べて読まれていないようだ。
理由は定かではないが、やはり文章が読みにくいからだろうか。
本書の「隠遁の心持について」という章は、親子関係に悩んでいる人に是非読んでほしい。
親というのは誰にとっても、人間関係で一番の難敵である。
それはなぜなのか。倉田は「智慧が足りないのである」「人間が平浅なのである」と自分の親を痛烈に非難する。
自分の精神の軌跡をせきららに語ったこの章は、わずか15ページだが、
人間を知る上で避けては通れないことが書かれている。
この個所だけでも、倉田百三の偉大さを今に伝える。
以下倉田の言をいくつか引用する。
「この書には…若さに伴う衒気(げんき)と感傷とをかなりな程度まで含んでいる。
しかしながら自分は自分の青春の思い出を保存するためにかなりの羞恥を忍んで
それをそのままに残しておいた」
「この書は青年として当に考うべき重要なる問題を悉(ことごと)く含んでいる」
「たとい決して解決し得ていないまでも、これらに関する最も本質的な考え方を示している。
而(そ)して考え方はある意味において解決よりも重要なのである」
「この書は、その青春の危険多き航路を終りたる水夫が、後れて来る友船へ示す合図である」
「私は今は隣人の愛のみ真実の愛であると信じている。
母子の愛と男女の愛とは愛と異なるのみならず、相乖(あいそむ)くものである。
それは愛ではなくてエゴイズムの系統に属するものである」
「両親は…愛してくれる。それにもかかわらず自分は家から離れたい切なる願いを感ずる」
「…自分は後で深い寂寞(じゃくまく)に襲われた。…自分は母の自分の心を組むことの浅いのに
腹立たしくなりさえした」