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3冊目にあたる本書ではズバリ「経済」がテーマ。とはいっても文字通りの経済学のことではない。バレンタインデーに備えて女の子がチョコレートを購入するとき、店員は値札を外し包装をし直すことによって商品としての痕跡を消す。贈りものの価値(贈与)は、商品の値段(交換)ではなく、人間関係における意味や感情によって決まるからだ。同様にアメリカ原住民のポトラッチという祭りでは、亡き首長のために、新しい首長が貴重品を海に投げ込む(純粋贈与)慣習がある。そこでは気前のよさが首長の威信を高め、それが部族全体の霊力の活性化をも意味した。太古の世界では、他人に贈りものをすること(贈与)や、神や自然に感謝し捧げものをすること(純粋贈与)が、重要な経済活動だと考えられていた。
その後、貨幣が発明されて資本主義が生まれていくまでを、著者は北欧における聖杯伝説やクエーカー教徒の集会などの豊富な事例をつかって楽しく読みといていく。が、そこから導きだされてくる答えはシビアなものだ。ヨーロッパから生まれた資本主義という商品経済(交換)ばかりが発達してしまい「交換」「贈与」「純粋贈与」の3つのバランスが崩れ、現代では何から何までが経済の影響下にあるような状態になった。かつてないほど豊かな時代なのに、実感としてあまり幸福でも豊かでもない社会。だからこそ、神話的な知の力を借り、資本主義の彼方に新しい社会形態や経済学を打ち立てるべきだと中沢先生は提案するのだ。(金子 遊)
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第三冊目にあたる『愛と経済のロゴス』では『緑の資本論』で展開された純粋贈与の問題を、贈与、交換とみつどもえにしてラカンの「想像界」「象徴界」「現実界」とキリスト教の三位一体(精霊、父、子)に重ね合わせながら資本主義の問題とグローバル主義の現状の問題を絡めて説く。キリスト教の三位一体が資本主義を用意したのだけれど、プロテスタントでそれが爆発的充実を遂げたという遡及的分析はわかるのだけれど、どういうわけでそうなったかというしくみのほうの説明はいまひとつよくわからない。
ともかく「グローバル資本主義の彼方に出現すべき人類の社会形態についての、ひとつの明確な展望を手に入れたいと願」っての論述は、昔々の清貧の思想に戻そうという無理を強いるのではなくて、この資本主義の祝祭空間を存分に享受しながら、たとえばクリスマスみたいに純粋贈与=愛に満ちた経済行為を蔓延させよう!と言ってくれているようで、なにやら未来が楽しげに思えてくる。
『女は存在しない』で展開されたとおり、自然=女、とぬけぬけと言い放つあたり、違和を感じないでもないが、土偶やラスコー遺跡から発想するならどうしたって女=妊婦=豊穣となってしまうのもやむを得まいと思わせるのは、あまりに彼の思想が愛と善意に満ちあふれているからか。
映画の世界なんかはまさにそうなんだろうけど、「どんな作品になるか」ということは「どんな物語にするのか」ではなくて「誰をキャスティングするのか」ということでほとんど決定する、かもしれない。そういえば、「どんな会社になるか」というのは「どんな事業をするのか」ではなくって、「どんな人と会社を作るか」によって左右される、と『ビジョナリーカンパニー』という本に書いてあった。その通りかもしれない。ヒューレットさんとパッカードさんは、まず信頼できる仲間を集めてから「さて、何をしようか」と考えた。井深さんと盛田さんもそうだった。らしい。
これって、批評についても言えることだと思う。
ということで、内容はよくも悪くも非常に刺激的。ちゃんとこれ、二倍くらいの分量にまとめてほしいな。
個人的に印象に残ったのは、この箇所。「語りかけ」というテーマについては、最近読んだ川崎徹と重なっている。
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私たちのまわりで、何かが私たちに向かって応答するのをやめています。私たちがその何かに対して、「適切な問いかけ」をおこなうのに失敗しているからです。ペルスヴァルとは違って、その何かに問いかけをしなかったから、そうなっているのではありません。人間はうるさいくらいに饒舌に、その相手に話しかけてきました。しかし、話しかけ方、問いかけ方がまずいために、その相手は深い沈黙に入ったまま、応答を送り返してこないのです。
その「何か」のひとつが、「自然」であることは間違いありません。今日では科学が、もっぱらこの自然への問いかけ役の正統的な地位を独占している感があります。(…)
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人間が問いかける対象は、4万年の昔も、今も、変わらない。自然と、人間自身だ。対象が変わらないのに、問いかけ方は随分と変わってきた。現代社会における「問いかけ方」は決して普遍的なものではない。
ということをまず中沢さんは言いたいのだと思う。
「問いかけ方」については、いろいろなオプションがある方がいい。いろいろオプションを持っていたほうが、おりこうさんだ。
合理的な経済を支えているのは交換の原理ではあるが
この合理性を、無意識のように背後から支えているのが
不確定性をはらんだ贈与の原理であり、その贈与の極限には
神の領域に属する純粋贈与の原理が現れてくるのだという。
純粋贈与の力が贈与と結びつく時、そこには「たましい=霊力」
の躍動をはらんだ純生産が生まれてくる。
しかし純粋贈与する力が交換の原理と接触するとき
そこには資本の増殖が起こり、それは「たましい」の活動を押し殺す。
だから現代の私たちの生活、資本の増殖は物質的な豊かさをもたらせても
「たましい」の豊かさをもたらすことはできないのだという。
純生産と資本を結び合わせること、それが「資本主義の夢」だ。
その夢を少しだけ実現させてみたのがクリスマスである。
交換と贈与との愛の結合。しかし私たちの経済システムにおいて、
毎日がクリスマスであることは残念ながら不可能である。
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