大島渚、27歳の作品。既に、後の作品に見られる、社会的な問題意識を巧みな暗喩に置き換えて、一個の人間ドラマに仕上げる手腕が、遺憾なく発揮されている。
監督自身が予定していた題名は『鳩を売る少年』。この地味な題名に会社側から待ったがかかり、最終的にこの『愛と希望の街』というのに決まった時には、大島監督もあまり良い気分がしなかったらしい。
主人公(?)の少年が生活の為に、繰り返し売る鳩は、劇中の台詞にもある通り、何かの象徴として見るべき。それは様々なものに置き換えられ得るけれど、それを「愛と希望」と言ってしまう事も、可能だろう。言わば、反語としてこの題名を受け取ってみるという事だ。
たとえ、やむにやまれず売ってしまう事があろうとも、必ず帰って来る筈の鳩。飛び立つ鳩と共に街の風景が映し出される時、「ああいった貧しい人たちは、他にもたくさん居るんだ」という台詞が脳裏に甦る。
物語の軸は、鳩を売る少年、正夫と、会社の重役の娘である京子の交流。観客は、ついそちらにだけ注意が向きそうになるかも知れないが、正夫の担任教師、秋山と、京子の兄、勇次の会話は、作品の主題を、より直截に語っているように思う。貧富の差を固定化する社会が、煩わしさを嫌って、一般論でしか人を見ない現実との齟齬や亀裂に苦悩する、個々の人間。個人の幸福と、それぞれの「立場」の狭間で苦しむ大人であるこの二人が、少年と少女の物語の影のように寄り添い、補完している。