この著者のものは初めて読んだが、宗教学の専門家らしい。
『トルストイかドストエフスキーか』というジョージ・スタイナーの名著があったが、この伝で行くと評者は圧倒的にドストエフスキー。トルストイが書いた童話『イワンの馬鹿』と同じイノセントな人間をテーマとしたのが、ドストエフスキーでは『白痴』であり、両者の懸隔はあまりに大きいと感じたものだ。
ガンジーに共鳴したトルストイは、非暴力不服従という「怖ろしい思想」を妄信するが、現実的な思想かどうかという問題よりも、結局トルストイの思想というのは「食うに困らない貴族」の頭から出てくるものだと確信する(白樺派も概ね同断。ただし有島武郎は尊敬するが)。
町田は『イワンの馬鹿』などトルストイ晩年の童話群を、福音書だという。なるほど元来、童話とか寓話とかは、読者がそれをもとに自ら考えさせるノリシロが大きい。旧約聖書を見よ!ところが、失礼ながら町田が解釈するトルストイ童話はあまりに陳腐で、それ自体が思考停止になっていると思わせる。
相田みつをとか、「左側通行」(芥川龍之介)とかその手の類とどれだけ違うのだろうか?
こうした物言いに感動する人もいるのかも知れないが、気鋭の宗教学者にしては「えらい手前でストップしたな」という感が否めないのである。
事実としての間違いも本書には少なくない。共産主義について言及するくだりや自由主義経済についてのくだりは中学生・高校生に読ませるにしてもいかがなものか?見解の違いといえばそれまでだが。
思想などというものは、ある意味複雑な社会を単純化して見ようとする契機をもっているが、これほどまでに世界を単純化して見ることには、大いに違和感を抱いてしまう。
本書は思考を促さない。それは近年の多くの「ビジネス書」や現代小説と同断だ。『イワンの馬鹿』にはもっとノリシロがあろう。