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敵役は機能主義、すなわちSR図式(と著者は単純化する)。こいつらは生成とその痕跡を取り違えているだけだから、ダメ。クオリアの問題に真正面から取り組むことで、きっと脳科学は錬金術ならぬ錬心術から脱皮し、ブレークスルーを達成できるはず。今はぜんぜん先が見えないけど(なにしろ問題が難しすぎるんだよ・・・)、この道を信じてがんばろう。
というような話で、しかしこの構図は基本的にベルグソンだと、私は思う。巻末近くで唐突にデリダやドゥルーズの名前が登場して、ポストモダニズム擁護を展開したりするところも、この著者の隠された準拠点を示しているのではないでしょうか。文献リストにはどちらも登場しませんがね。
加えて、文章の雑さも気になりました。「かの天才アインシュタイ」だの「天才ニュートン」だの、「モーツアルトの天才」だのがバンバン登場するのも気恥ずかしいし、クオリアvs機能主義の善悪二元論的な展開も、ベルグソンはもうちょっと繊細に論じたよ、と言いたくなりました。
この本の記述の中で注意したいのは、「神経細胞の活動がクオリアを生み出す」「クオリアを通して世界を感じ分ける」などという表現である。人間は物事に様々に反応し、同時にそのときの自己状態をある程度把握しているというのが事実の全てであり、そのときの神経細胞の活動状態が「世界を感じている」状態なのだから、「クオリア」は人間と世界の相互関係に割り込ませた余計な中間項だと言いたい。
「XXとは何か」「XXは何を意味するか」という問いかけ表現は、日常的な場面で必要に応じて使う分には問題ないが、そうでない場合、例えば「時間とは何か」「意味とは何か」などという問いに答えがたいのは、問題が難しいからではなく「問いかけ」という言語行為の機能に必要な脈絡を欠いているのが主な理由である。この本の中にも「言葉の意味をつきつめる」という表現があるが、この種の表現に対し分かったふりをしてはいけない。
全般的に、著者の言葉の使い方に対し細心の注意と猜疑心を持ちつつ読むのがいいと思う。
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